Column理想的なlifeハンナ・アレント『人間の条件』、では私は…。

ハンナ・アレント『人間の条件』、では私は…。

未だに40代独身で生きる意味を探し求めているのかも…。

私が「認めて」いる私と、周りから「見られたい」と思う私

40代になったばかりの頃、私は、私という人を、私自身でどのように「認めて」いけば良いのか、そして、周りの人たちからどのように「見られたい」のかについて、考えていました。

私は40代で、独身で、一人暮らしをしている、「普通」の人なのですが、
現在の社会では、多くの人が40代までに結婚し、家庭を持ち、家族と生活することを「普通」と考えられている人の方が多いようです。

私は、非正規社員ながら自分一人が生活できる分の収入を得て、親に経済的な負担を掛けることなく、自立した生活をしているのだから、それだけで「十分」だと思っていました。

一方で、周りの人たちから「見られたい」私は、
「独身でいることを自ら選び、人生の意義は仕事だけには置かず、知的で文化的な意義深い生活を送る、自立した40代」
でありたいと思っています。

私自身は、豊かではなくとも一人での生活に足りる収入があり、自立した生活ができているだけで人生の意味は満たしていると思っているのですが、
そこに「他人の目」が入ってきますと、
40代で独り幸せに生きているシンボリックな「証」を提示したくなる衝動に駆られてしまう私がいるのです。

私は独りでも幸せなのです。
なぜならば○○○だからです。

本来は「なぜならば○○○だから」に入る言葉などは不要なはずなのです。
ですが、どうしても周りの人たちに「こう見られたいと願う理想の私」を創らなければ、私の尊厳を、私自身が守ってあげられない気持ちになってしまうのです。

周りに見られたい私は、
「私は独りでも幸せなのです。
 なぜならば知的で文化的な生き方を選んでいるから、です」。
こう見られるために、
❝がんばって❞土日に出掛け、周りに対する幸せの「証」を作っているのです。

今読むべき本と直感した本のタイトルは『人間の条件』

そんな私が土日に家でだらだらしていたい気持ちを払い除け、
お洒落な喫茶店で❝知的❞に振る舞うための本を購入するために訪れた本屋で、思わずタイトルを見た瞬間に手を伸ばしてしまった本が、ハンナ・アレント『人間の条件』(志水速雄訳)です。

「人間の条件」

人間の条件とは何なのだろう。
『人間の条件』の裏側に解説が載っていました。

条件づけられた人間が環境に働きかける内発的な能力、
すなわち「人間の条件」の最も基本的要素となる活動力は、
《労働》《仕事》《活動》の三側面から考察することができよう。

ところが《労働》の優位のもと、《仕事》《活動》が人間的意味を失った近代以降、
現代世界の危機が用意されることになったのである。

『人間の条件』阿部齊解説

「条件づけられた人間が環境に働きかける内発的な能力」…、書き出しからよく理解することはできませんが、「人間の条件」の基本的要素となる活動力は「労働」「仕事」「活動」ということらしいのは分かりました。

そして、「労働」の優位のもとで、「仕事」と「活動」が人間的意味を失ったことで、現代世界の危機が用意されるようになったようです。

「労働」と「仕事」の違いは分かりませんが、現代世界で「労働」が優位になり、「活動」が人間的意味を失ったことで、何かしらの危機が訪れようとしていることは、何となく分かりました。

小さな字で、500ページ以上の文庫分。
本当に読めるのでしょうか…。
でも、それ以上に本のタイトルが、今読んでおくべき本と感じる『人間の条件』。
一瞬本の厚さに怯みそうになりましたが、『人間の条件』を手に持ちレジに向かいました。

ハンナ・アレント『人間の条件』、3つの基本的な活動力「労働」「仕事」「活動」

独身のまま40代となっていた私は、ハンナ・アレントが1958年に記した『人間の条件』、このタイトル見た瞬間、「今読むべき本」と直感しました。

ハンナ・アレントによれば、人間の基本的な活動力は、
①労働(labor)、
②仕事(work)、
③活動(action)、を意味するとのこと。

①労働とは、「人間の肉体の生命学的過程に対応する活動力のことであり、人間の肉体が成長し、最後に朽ちる家庭は、労働によって生命過程の中で生み出され消費される生活の必要物に拘束される。労働の人間的条件は生命それ自体」ようです。

どうも、資本主義社会の消費されるものを生産し続ける「労働」の虚しさについて訴えているようです。

②仕事とは、「人間存在の非自然性に対応する活動力。仕事は、すべての自然環境と際立って異なる物の『人工的』世界を作り出す。仕事の人間的条件は世界性」とのこと。

どうも仕事とは人間が知恵を絞って何かを生み出すこと、ということを指摘しているようです。

③活動とは、「直接人と人との間で行われる唯一の活動力であり、多数性という人間の条件、地球上に生き世界に住むのが、多数の人間(men)である事実に対応している。政治体を創設し維持することができる限りは、記憶の条件、歴史の条件を作り出す」ようです。

どうやらアレントは『人間の条件』中で「活動」が最も重要なことなのだと伝えたいようです。

そして、古代ギリシアのアリストテレス(数十年前に何となく教科書で学んだ人物ですが、大人になってアリストテレスのことを学ぶことになるとは想像もしていませんでした)の考えでは、
「『人間が自由に選びうる生活』とは、自分が創り出した諸関係と生活の必要物にまったく関係なく自由に選びうる生活」のことで、「自分の生命を維持するのに捧げられる生活様式はこの生活から除かれている」ようです。

さらに付け加えると「労働も仕事も、自治的で真に人間的な生活様式を形成するのに十分な威厳を持っているとは、考えられていなかった。労働と仕事は、必要かつ有益なものに奉仕し、生み出すものである以上、人間の必要や欲望と関係のない自由なものではありえないから」となるようです。

なるほど、古代ギリシア(キリストが誕生する300年以上も前)においても既に、
「労働」と「仕事」が「真に人間的な生活様式を形成するのに十分な威厳を持っているとは」考えられていなかったようです。
まだまだ500ページの本の序盤も序盤ですが、やはり「今読むべき本」だったと思います。

私にとっての「労働」の意味

「真に人間的な」の意味がまだよく分かりませんが、
「労働」が「真に人間的な生活様式」にとって十分な価値(威厳)を持っているとは考えられていなかった、との指摘は私にとっては安堵のような、「やはり」という思いのような、救われたような気持にもなりました。

日々ルーティンワークを20年以上も続けている私にとっての「労働」は、衣食住を購入するためのもの以外ではありません。
それでも世間では、「働きがい」とか、「やりがい」といったものを仕事に求める雰囲気がが漂っている気がしていました。

私のように独身で、一人暮らしの40代が生きていく中では、何かに「一生懸命」になっているものの存在がない、ということで、アナタにとって人生の意義はどこにあるのでしょうか…?と直接的なないにしても、婉曲に尋ねられる場面があります。
人によっては「労働」=仕事に人生を捧げています、という方もおられます。

人生の多くの時間を捧げて、一生懸命に仕事に取り組めることは素晴らしいことだと思います。
一生懸命に取り組めに仕事には、「やりがい」も「働きがい」も十分にあるのでしょう。
むしろ「やりがい」を感じられる仕事が与えられているということは、羨ましくも思います。

私は社会人となる一度も仕事に「やりがい」や「働きがい」を感じたことはありません。
私の多くの時間は、派遣元会社(所属会社)と派遣先企業(実際に働く会社)の契約で決められた範囲の「仕事」をこなすことに費やしてきました。
20代で社会人となってすぐに仕事とは「生命を維持するのに捧げられる」ものだと思っていました。

古代ギリシアの時代から、私が仕事に抱いていた思いと同じ感覚を当時の人たちも持っていたことに、「私だけが仕事に虚しさを感じていたわけではなかったのだ」とホッとしました。

ただアレントは、
「近代の共同体は、すべて生命を維持するのに必要な唯一の活動力である労働を中心にするようになった」と言っており、ここでも「やっぱり労働を中心にするように」なってしまっているのが現実…ということも改めて認識しました。

人間は活動と言論で自分が『何者』(who)であるかを示す

そして、最もこの『人間の条件』で感銘を受けたのは、
「言論は、差異性の事実に対応して、同等者の間にあって差異ある唯一の存在として生きる、多数性という人間の条件の現実化」で、さらに、
「人々は活動と言論において、自分が誰であるかを示し、そのユニークな人格的アイデンティティを積極的に明らかにし、人間世界にその姿を現す。…その人が『何者』(who)であるかの暴露は、その人が語る言葉と行う行為の方に明示されている」と伝えられている部分でした。

あぁ、私は「私という人間はこのような意義ある人生を歩んでいる人なのです」と周りの人たちに伝えたかった理由は、ここにあったのか、と深く深呼吸しました。

私は独身で、40代で、限定的な仕事を毎日こなす非正規社員、という側面の人間だけではなく、
知的で文化的な意義深い生活を(とくに土日に)送る人、という、
他の40代で独身の方との「差異」を創りたかったのだ、と自分の心の底にあった想いを俯瞰して考えることができるきっかけとなりました。

私は、今の生活を自ら選び、幸せで意義ある人生を送っている私、
ということを示したかった、ことを確信した瞬間でした。
ここから私が意識的に行っていた知的で文化的な生き方を(無理をしてでも)❝演出❞していることに対して、何の迷いもなくなりました。

私が、私という人間を幸せで価値ある存在でいることを望み、
その同じイメージを周りの人たちにも「共有」させたいという願いは、
人間だからこそ、普通のこと、だったのです。

自分では❝少し変だと思っていた行為❞の根幹が明らかになったことで、とても晴れ晴れとした気分になりました。
「今読むべき本」の直感に間違いはありませんでした。


【文中の参考・引用文献】
・ハンナ・アレント『人間の条件』ちくま学芸文庫(2018)

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プロフィール

学生時代に想い描いていた人生は、自分の社会的な存在価値を表してくれるような❝しっかりとした❞会社に就職して、20代で結婚し、30代で家族に恵まれ、子育てや家庭生活と仕事を両立させる、そのような「理想的」な生活。 しかしながら、現実は、「理想」とは程遠く、新卒者として臨んだ就職活動に❝失敗❞し、非正規社員として社会人をスタートし、学生時代からのパートナーと別れ、友人たちとも疎遠となり、20代後半から「孤立」し始め、30代はずっと「孤独」な生活を過ごすことに。 「孤独」の痛さや、孤独の中で毎日働く「虚しさ」を10年以上経験する。 40歳で「前向きに」生きることを決意し、カウンセラーの資格を活かし、自分と同じような「孤独」と「仕事」に不安と悩み、虚しさを抱えた方々に、ナラティブ・アプローチ(『語り』を通じた問題解決)を用いて、寄り添う活動を行っている。

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