過去の自分と「向き合う」ことは、簡単なことではありません。
私は40代まで、独身、一人暮らし、地域のコミュニティ・同じ職場の人たち・学生時代までの友人たちといった人間関係から疎遠になってしまい、孤独な生活を送っておりました。
40歳の誕生日を迎え、「産業カウンセラー養成講座」に偶然出会い、10カ月間の研修と試験を経て「産業カウンセラー」の資格を取得しました。
「カウンセラー」の資格を取得後の学びの中で、現在の活動に繋がるカウンセリング技法の一つ「ナラティブ・アプローチ(『語り』を通じた問題解決)」を知り、
まずは自分自身のこれまでの人生・経験を「書く」ことで、過去を整理し、捉え直し、
その上で、孤独で、虚無感に苛まれることが多かった30代までの人生を、
「どのように変えていくか」を時間を掛けて見出していくことにしました。
自分の人生を振り返ることは、私にとっては簡単なことではありませんでした。
なぜなら、
振り返る自分の人生は、自らが招いたとはいえ、とても辛く、とても苦しく、目を背けたくなる程の過ちに満ちていたからです。
振り返った人生には、
「あの時、なぜあのようなことを言ってしまったのか…」
「あの時、あのような態度を取らなければ、今頃は…」
「あの時、もっと他人の気持ちを考えてあげていれば…」
「あの時、もっと『許す』気持ちをもっていれば…」
と、
「あの時」「あの時」…、と後悔の気持ちばかりが湧き上がってきます。
目を背けたくなるような過去と向き合うツールとしてホームページを開設しました。
過去の自分との「対話」はとても苦しく、途中で何度も考えることから逃げたくなりました。
(この時の辛かった経験が今のオンラインカウンセリングを行うきっかけともなりました。)
逃げ出したくなる気持ちを何とか抑えて、自分の過去との「対話」を続けるために始めたのが、
このホームページでした。
カウンセリング技法の一つ「ナラティブ・アプローチ(『語り』を通じた問題解決)」に準拠させながら、
私自身の過去の経験を整理し、「捉え直し」を行い、
「では、これからどう生きるか」を少しづつ、少しづつ思い描いていきました。
一つのコラム・文章を書き上げるまで、数日掛かることも多くありました。
「書く」ことが進まないエピソード=「物語」こそ、
本当に自分が向き合わなければならない「核心」の部分であることが徐々に分かってきました。
私が向き合うべき「核心」、だからこそ向き合うことが難しい「過去」は、
自分の思い通りに行かなかった人生を嘆き、
周りの人の人生を羨み、嫉妬の対象として見てしまったことで、
パートナーとも、友人たちとも疎遠になってしまった、
という大きな「過ち」でした。
本当は振り返ることが辛く、苦しい、
どのように孤立し、孤独に陥っていったのか、
なぜ働くことに虚無感を抱くようになってのか、
を冷静に整理できたことで、
『それでも』40代からの人生は「豊かなもの」にしたいと思えるようになっていきました。
「自分だけのため」のものから「誰かのために」と変わった瞬間
あくまで「自分のため」のために、自分の過去と向き合うことから❝逃げたい❞と思う気持ちを抑えるために始めたこのホームページでしたが、私と同じような「孤独」と働くことへ「虚無感」を抱える方々からメッセージを頂くようになり、メールでのやり取りが「カウンセリング」のような効果があったと告げられ、現在のチャット・メール相談に繋がっていきました。
ナラティブ・アプローチを用いた「【孤独】と虚しさを癒すカウンセリング・相談」を本格的に始めたことで、ようやく、
自分の「生きる意味」「働く意味」は「誰かの役に立つこと」にある、
を心からの声とすることが出来てきました。
おかげさまで、多くの方々からカウンセリング・ご相談のお申込みを頂けるところまで来ることができました。
そして、ご相談頂ける方々がおられたからこそ、
私の「生きる意味」「働く意味」を見い出すことが出来たのです。
私を信じて、頼って下さったご相談者様には感謝の気持ちで一杯です。
私一人でできることはとても限られていますが、
これからの人生は、全て「誰かのため」に使いたいと思っています。
私がそうであったように、
自分の辛く、苦しい過去と向き合うことが、時に難しいと感じられる場面で、
援助してくれる人がいてくれたら、どんなに心強いことか。
時に難しい場面で、援助できる人=カウンセラーに私はなりたい、と思っています。
ご相談者がおられるからこそ、
私の「生きる価値」があるのだと思います。
私の同じような「孤独」と「虚無感」に苛まれる方々と「対話」させて頂き、
ほんの僅かでも、ご相談者の気持ちが癒されることで、
私自身の過去の孤立し、孤独な約10年間も「人の役に立てる」意味ある経験だった、
と「捉え直す」ことが出来ました。
「情けは人のためならず」、
そう、自分という存在を生かすためにも、誰かのために活動するのでしょう。