40歳前後に人生最大の危機、「中年期の転換期」を迎える。
カール・グスタフ・ユング(1875‐1961)はスイスの精神科医で心理学者です。
日本では「ユング心理学」分析心理学、夢分析の主唱者として有名な方であり、カウンセリングの世界では必ず一度は学ぶアプローチ方法です。
ユングは、人の人生の経過を4つの段階に分けて捉える「ライフサイクル論」を著しました。
この「ライフサイクル論」の4つの段階とは、
「少年期」、「青年前期」、「中年期」、「老人期」であるとした上で、
人生の中で問題となる時期は「青年前期」と「中年期」であり、
この「中年期の転換期」こそが❝人生最大の危機である❞、
ことを示しました。
「中年期の転換期」は、人の人生を太陽の動きになぞらえて、
おおよそ40歳代を「人生の正午」と呼び、
「少年期」、「青年前期」は「社会的達成」を目指して精力的に活動しますが、
40歳を過ぎる頃から、人生の午前のような活動がいつまでも続かないことを実感し、
ゆっくりと沈む太陽のように下降し始めた人生の午後を、
これまでの生き方と価値観を転換して生きていかなければならない、
と説明しています。
人生の午前に社会的達成を目指してきた理想や価値観を、
40歳代の「人生の正午」を過ぎてからは、
人生の午前で排除してきた自己を見つめ直し、
人生の午後で、もう一度自己の中に取り戻していくことが必要になる、
として、この過程を「個性化の過程」と述べています。
「中年期の転換期」を実証しようとしたレビンソンの「ライフサイクル論」
ユングの提唱した「中年期の転換期」の危機を実証しようとしたのが、イェール大学の心理学者レヴィンソンでした。
レヴィンソンはユングの理論をベースに、35歳から45歳までの男性40名を2年間にわたり面接調整を行い、新たな「ライフサイクル論」を発表しました。
レヴィンソンの「ライフサイクル論」では、
人生を4つの発達期で捉え、各発達期には4~5年の「転換期(過渡期)」が存在し、
転換期・過渡期は、それまで適応的であった生活構造を変えなければならない時期であり、
適応的だった状況から「変わる」ことを促される各転換期・過渡期は、
危機的な時期である、
と説明しています。
4つの発達期は、
①児童と青年期(0~22歳)=親や社会に保護されながら生きる時期、
②青年前期(17~45歳)=親から離れ自立を決断する時期、
③中年期(40~65歳)=40年で確立した自己が崩壊する恐怖感を無意識に感じる時期、
④老年期(60歳~)=死を受容しつつも、新たな生への希望を獲得する時期、
と定義しました。
レヴィンソンの「ライフサイクル論」でもユングと同じように、
40歳頃からの「人生半ばの過渡期」が始まることで、「中年期」に危機が訪れることを示唆しました。
「中年期」の危機は、
30代までの内的世界の変化(興味関心や価値観の変化、身体的変化など)と、
外的世界の変化(職場・地位などの変化、子どもの成長・独立の変化など)との関係における「葛藤」が生じるために起きる、としています。
「中年期」の危機に訪れる4つの「葛藤」
「中年期」の危機におきます「葛藤」は、
・「若さ」と「老い」
・「破壊」と「創造」(=死や破壊を身近に感じることにより、もっと創造的になりたいと願う葛藤)
・「男らしさ」と「女らしさ」
・「愛着」と「分離」(=愛着を求める欲求と離れることを望む欲求との葛藤)
であると述べています。
ユングが提起し、レヴィンソンが実証しようと試みました「ライフサイクル論」におきます、
40歳頃から始まるとされる「中年期」の危機は、
身体的な衰えを感じ、自分の可能性と限界を知り、
さまざまな「葛藤」を抱えるため、
危機的な時期とされているようです。
私は今「中年期」の危機とされている40代です。
「ライフサイクル論」によれば、「人生の正午」をちょうど過ぎようとしている時期で、
さまざまな「葛藤」を抱えながら、これまでの生き方や価値観を転換し始める時期といえます。
私の人生最大の「危機」は20代後半からの孤立と孤独から始まっています。
私はカウンセリングを学ぶ中で、このユングとレヴィンソンの「ライフサイクル論」に触れ、
理論で明らかにされた「危機」と、私自身に起きていた「危機」とは異なるように感じました。
この「違和感」の原因は、
私の人生の前半、とくに青年前期に求めることができそうです。
ユングによりますと、人生の前半の課題は、社会の中で自己を達成すること(=社会的達成)であり、
達成する主な領域は、
職業を選択して、キャリアアップすること、
配偶者を選択して家族を築き、子どもを育てること、
に求められます。
この指摘に従えば、
おおよそ30代までの人生の前半、青年前期において、
職業を選択して、キャリアップすることを経験し、
また、配偶者を選択して家族を築き、子どもを育てることも経験することで、
「社会的達成」を成し遂げ、
自己肯定感や「アイデンティティ」を確立していくことが、
30代までの課題とされているようです。
私の人生の前半では、30代までの「課題」とされております、
職業を選択して、キャリアップを目指すことも、
配偶者を選択して家族を築き、子どもを育てることも、
何一つ叶えられていません。
新卒者としての就職活動に失敗し、正社員としての内定を得ることを出来ずに卒業の時期を迎え、
職業を選択することも叶わず、非正規の派遣社員として働き出し、
6カ月契約を「更新」し続け、気がつけば、同じルーティンワークを10年以上続けておりました。
40代の今まで、職業を選択することも、キャリアアップを目指すことも、私は経験できませんでした。
また、20代半ばで大学時代からのパートナーと別れてから、「出会い」に恵まれず、
40代の今でも独身であり、
当然、配偶者を選択して家族を築くことも、子どもを育てることも経験しておりません。
私の人生の前半は、
「何のために働くのか」と自問しながらも、ひたすらルーティンワークをこなす日々と、
パートナーも友だちもいない孤独な生活を嘆く毎日でした。
私の「危機的な時期」は30代までの「人生の前半」に現れていました。
私にとっての「危機的な時期」は、30代までの人生の前半にあったと言えそうです。
就職氷河期に就職活動時期が重なり、厳しい就職環境も遠因となって、正社員として働き出すことができず、派遣社員として限定的な仕事をこなす毎日に、
理想としていた働き方と現実の仕事とのギャップに酷く「葛藤」しました。
大学時代からのパートナーや友人たちの活躍や幸せな出来事を、
本当は祝ってあげたいと思うべきところ、
自分の惨めな境遇から妬む気持ちの方が強くなってしまったことにも、
激しい「葛藤」を覚えました。
人生の❝底❞ともいえる孤立と孤独の期間が10年以上続き、
40歳で❝底❞から自分の力で脱することを決意するまでが、
私にとっての人生の大きな「危機」だったといえます。
私の「転換期・過渡期」は、
20代後半頃から孤独で寂しい生活が始まり、
40歳で孤独で寂しい生活から決別することを決意するまでの、
30代のどこかの時点で起きていたのだと思います。
そして、「転換期・過渡期」が終わった瞬間は、
「都合よく私に❝救い❞の手を差し伸べてくれる人は現れない」と確信した時だったのでしょう。
その意味では、私の「中年期」の危機は、
本来は人生の前半で経験すべき、
職業選択とキャリアップ、配偶者を選択し子育てを行う、
といった「社会的達成」がすべて抜け落ちてしまっていたため、
これまでの生き方や価値観の転換に迫られることなく、
過ぎ去ってしまったように思います。
私はユングが唱えました40代の「中年期の転換期」に、
これまで積み重ねてきましたキャリアの可能性と限界に苦しむことも、
子どもが自立していく寂しさも、経験することはありませんでしたので、
生き方と価値観を強制される「危機」は訪れなかった代わりに、
30代まで、働くことも、生活することも虚無感に覆われていました。
私のこれまでの生き方や価値観の転換は、
40歳で、これから残された人生は独りでも有意義で愉しい人生にしたい、
と思った瞬間から始まったといえます。