自分の「過去」としっかり向き合うため「カウンセリング」を学ぶことに。
私は就職活動の事前準備として取り組みました「自己分析」で夢見ました理想のキャリア・社会人像と、現実の「働き方」(非正規の派遣社員)との乖離に、理想に近づく努力を放棄してしまい無気力に陥り、さらに他人の活躍や幸せを羨む気持ちに囚われてしまった末に、孤立し、孤独な生活を10年余り経験することになりました。
30代の10年間は、一人で住むアパートの一室で「誰からも、何も期待されない」孤独な生活を送りました。
また、月曜日から金曜日までは「何のために働くのか」が分からないまま、ただ会社に向かっていました。
親しい人もいなく、独身のまま40歳になり、いくら過去を悔やみ、現在を悲観していても「都合よく誰かが手を差し伸べてくれる」ことは決してない、ことを認めて「それなら、少しでも、今よりは前向きに生きよう」と決心しました。
「前向きに生きる」こと決意してから出会った「産業カウンセラー養成講座」では、
自分が孤立し、孤独に至ってしまった過去と向き合い、これからの人生を考えるために、
カウンセリングの知識と技術を学びました。
10カ月間の「カウンセリング」の学びの目的は、10年余り孤独な経験をした「自分」を癒すためのものでしたが、学びの「区切り」として受験しました学科試験と実技試験の結果、「産業カウンセラー」の資格を取得することができました。
「産業カウンセラー養成講座」を受講していた10カ月間、
本当は振り返ることが辛かった自分の過去から目を背けることなくしっかりと向き合い、
理想とした社会人になることが叶わず、何事に対しても無気力だった自分と、
親しかった友人たちの活躍や幸せを素直に喜んであげられず、逆に妬んでしまった自分を、
「認める」ことができました。
「過去」と向き合い、「これから」を見据えるために「ナラティブ・アプローチ」を実践してみることに。
そして、カウンセリング技能の一つ「ナラティブ・アプローチ(『語り』を通じた問題解決)」と出会い、
現在も続いている孤立した状況において、孤独な気持ちをセルフコントロールしながら、意義深く愉しい人生を送るため揺らぐことのない「道標」を立て続けるため、
クライアントとして自分の「過去」を何度もコラムに綴ることで「語り」、
カウンセラーとして綴られた過去の「できごと」を「物語」として「意味づける」ことを始めてみました。
(「ナラティブ・アプローチ」との出会いはここに詳しく書かせて頂きました。「『ナラティブ・アプローチ(『語り』を通じた問題解決)』との出会いとその実践、そして私が『カウンセラー』として活動をはじめるきっかけ。」)
40代から、独身で孤独な状況でも「それでもなお」意義深く愉しい人生を送るため、
自分の本当は振り返ることが辛い「過去」と向き合い、「物語」をつくり、
「これから」望む生き方を、寂しさに惑わされることなく、見据えるための「ツール」として、このサイトは開設されました。
すべて「自分のため」だった取り組みが、「誰かのため」に変わるきっかけをくれた1通のメール。
「カウンセラー」の学びは「自分のため」に始めました。
また、このサイトを開設し、自分の「過去」を綴り始めたのも「自分のため」でした。
私自身の「過去」と向き合い、現在と「これから」のための「物語」をサイトで綴っていたところ、
1通のメールを頂戴しました。
メールの送り主は、私と同じく孤独に苛まれていた方でした。
メールには、私がサイトで綴ったように、その方が過去と向き合われ孤独に至った原因が書かれており、
最後には、
「たまたま目にしたサイトで、私と同じように孤独に苛まれながらも、何とか『前向き』に生きようとしている❝メッセージ❞に、私も自分の過去としっかりと向き合わなければならないと思いました。
自分の過去と向き合うことは辛いことでしたが、辛い気持ちになった時には、あなたのサイトを訪れては、(自分の過去と向き合う)勇気をもらいました。
あなたの『おかげで』私も何とか自分の過去を整理することができました。
ありがとうございます。
感謝の気持ちを込めて、勝手ながらメールをさせて頂きました」、
と記されていました。
私は大学卒業と同時に、容易に❝替えが効く❞非正規社員の派遣社員として働き出し、
自分が「誰かの役に立った」という感覚を得られることはありませんでした。
40代にして、はじめて誰かに感謝されるという経験をしました。
誰かに感謝される、誰かの役に立つことは、
こんなにも心が暖かくなるものだと気がつきました。
感謝の気持ちをもらうことは、何事にも代え難い喜びでした。
1通のメールではありましたが、
10年以上誰からも、何も期待されない、孤独な生き方をしてきた私にとっては、
「救われた」気持ちになりました。
メールを下さった方は、
私に感謝の気持ちを伝えて下さいましたが、
むしろ私がその方に心から感謝しました。
「私が誰かの役に立てること、
私が生きていることに価値があることに、はじめて光をあてて下さいました。」
メールを下さった方とは、「同じ」孤独と寂しさを抱えた者同士として、何度もメールでの「会話」を続けました。
そして、また「同じく」孤独を抱えながらも、「前向きに」意義ある人生を歩む者同士となっていきました。
メールでの「会話」を通じて❝同志❞から、
「あなたは、私に孤独を抱えながらも『前向き』に生きる勇気をくれました。
あなたほど、孤独の辛さを実体験として知る『カウンセラー』はそう多くはないでしょう。
あなたには、『カウンセラー』として孤独と人生の意義に悩む『クライエント』のために活躍して欲しいと思っています」、
と告げられました。
誰からも、何も期待されない辛さを知るからこそ、困難が伴っても「誰かの役に立つ」ことを選びます。
もし私が「誰かの役に立つ」ことがあるなら、
私は、私の「意義ある人生」のために、限られた人生の時間を捧げたいと思いました。
これは誰からも、何も期待されないことの、
空虚で意義を感じることのできない人生の時間を痛いほど知っているからです。
たった1通のメールでしたが、
感謝の気持ちや誰かの役に立てる感覚を心から渇望していた私には、
「カウンセラー」として活動をはじめる動機づけには十分でした。
新しいことをはじめるからには、それに伴って困難や時に苦しいこともきっとあると思います。
ですが、
誰からも何も期待されず、毎日が孤独で暗鬱とした人生を送るよりは、
誰かの役に立とうとして困難に立ち向かう方を、私は選びます。
孤立と孤独は、人生の中で最も辛いことだと私は思いますので。
身につけた「カウンセリング」の知識と技術は、
「自分のため」から、
「あなたのため」に変わっていきました。
「あなたのため」に人生の時間を使うことは、
「自分の」意義ある人生に繋がることを、私は孤独から学びました。