「誰かの役に立ちたい」に至るまで孤独な生活、きっかけは就職活動の失敗。
私は自らの孤独な生活と仕事について綴っています。
コラムに自らの孤独で寂しい生活を綴る理由は、
「誰かの役に立ちたい」と思うからです。
私の人生は、大学を卒業と同時に非正規社員として働き出したところから、
私の思い描いておりました人生から乖離が広がり続けていきました。
大学を卒業して、
「多くの仲間に囲まれる」ような社会人、
「意義ある仕事に挑戦して仲間と喜びを共有できる」ような社会人、
になることを「自己分析」から、「なりたい自分」としての理想を作り上げていきました。
就職活動が失敗に終わったことで、
職業を通じた「なりたい自分」には、
「なれない」ことを悟りました。
「なりたい自分」は、何の取柄もなかった私にとっては、大切な「理想」でした。
20代になるまでとくに「輝く」ことのなかった私が、これからの人生=社会人では、
❝きらきら❞と輝けるような職場と仕事を求めていたのです。
それが「自己分析」で、学生時代までの過去を振り返り、
今後の人生を見据えた時に、心の底から湧き上がってきました私の真実の「望み」だったのです。
「大生時代までは控えめで、人前で輝ける場面がありませんでしたが、
社会人になったら、多くの仲間に囲まれ、喜びを共有できるような人でありたい」と。
このような心からの「理想」に気づいてしまった故に、
非正規社員の派遣社員として社会人を始めなければならなかったことは、
現実を正面から受け止める範囲を超えておりました。
私が大学時代に描いた「理想」から見た、現実の私は、
酷く惨めに思えました。惨
非正規社員の派遣社員となった私には、
「仲間」はできませんでした。
「喜びを共有できる」ような仕事は与えられませんでした。
私が社会人になって得たアイデンティティ(=自己同一性)は、
「6カ月契約の派遣社員」でした。
「就職氷河期」に就職活動を行いました新卒者の中には、不本意な就職となった若者も多くおりました。
私のように正社員として就職できずに、非正規社員として働く出す新卒者も多くおりました。
そのような時代背景でしたので、
私❝だけ❞が惨めで酷い境遇ということではなかったはずでした。
ですが、「社会人になったら、こうしたい、できれば輝ける社会人になりたい」と、
思ってしまったことで、自分❝だけ❞が不幸せと勘違いしてしまったのでしょう。
この自分❝だけ❞が不幸せと思う気持ちが、
私が学生時代までに築いてきた人間関係から遠ざける原因となりました。
学生時代からのパートナーや友だちの仕事での活躍を、一緒に喜ぶどころか妬ましく思ってしまっていました。
友だちの幸せを、一緒に喜ぶことが辛くなり、自分から距離を取るようになりました。
そして、30代になった頃には、学生時代までの人間関係から完全に離れ、孤立していました。
自分で招いたこととはいえ、誰からも連絡がこなくなったことは辛いことです。
土日の予定がいつまでも真っ白なままなのもとても悲しいことでした。
仕事は30代になっても非正規社員のままで、
仕事で愉しさや喜びを得ることは一度もありませんでした。
10年程続けました孤独で孤立した生活の末に残った感情は、
「誰かの役に立ちたい」でした。
同じく孤独な生活を送られている「誰かのために」、私はコラムを綴ります。
誰からも必要とされることのない長く寂しい日々の中で、
人は誰かに必要とされるからこそ、
人らしく生きられるのではないかと、シンプルに思えてきました。
人にとって孤独は、生きる力を奪ってしまうものではないかと思えました。
もし結婚し、家族がおりましたら、毎日が家族のための時間となり、
「誰かの役に立ちたい」という人として「あたりまえ」とも思える考えを、
意識することはなかったと思います。
誰からも、何も期待されない毎日は、人生の意義を見出し難くしてしまいます。
私はこのコラムを書くことで、
本当は振り返ることが苦しくなるような過去を整理して、
自分の人生を正面から受け止めようとしています。
そして、
もし私と同じく孤独な生活を送られている方が、
自分❝だけ❞が孤独ではないことを共感頂き、
ほんの少しでも「自分以外にも孤独に苛まれている人がいる」と、
一瞬でも❝ほっと❞した気持ちになって頂けるのであれば、
私が望む「誰かの役に立つ」ことが叶えられる、と思うのです。
コラムを綴ることは、
自分の過去としっかりと向き合うため、
そして、孤独な私を記すことで、同じく孤独に苛まれている方の「役に立つ」ことができたなら、
私の孤独もほんの少し癒えるのではないかと思っております。