孤独で寂しい独身40代になるまで
私はアパートに一人で暮らす40代独身です。
今住んでいますアパートは、大学進学を機に住み始めて、20年以上が経過しました。
部屋の中は大学時代とほとんど変わっていません。
家賃も大学時代から変わっていません。
私にもパートナーがいた時期はありました。
大学を卒業して、私は就職活動に失敗して、已むなく非正規社員の派遣社員として働き始め、
一方、私の学生時代からのパートナーは正社員として働き出し、
私が自分だけが「不幸」と思い込み、ふさぎ込み、パートナーの話すことを、なにも受けとめてあげれなかったことが原因となり、お別れの時期を迎えました。
20代半ばの出来事です。
学生時代からのパートナーとお別れをしてからは、
ますます私の❝嫌な❞部分がでてしまい、
友人たちをも羨む気持ちが強くなり過ぎ、
友人たちの幸せな話しを聞くことが徐々に苦痛になってしまい、
友人たちからも離れてしまいました。
30代になる頃には、
月曜日から金曜日まで、何も考えずに朝起きて、仕事をこなし、テレビを見ながら食事をして、
早めに就寝して、また起きて…、を繰り返し、
土日はどこにも出掛ける気持ちになれず、
じっとアパートの中でうずくまり一日を終え、
また月曜日なれば機械的に朝起きて…、
といった生活を送るようになり、
❝立派な❞孤独で寂しいひきもこりの独身者になっていました。
自分の思い描いた通りにならなかった境遇ばかりを悔やんで、
周りの人びと幸せを羨むあまり、
私は周りの人間関係から孤立していき、
ますます結婚を誓えるようなパートナーとの出会いの機会から遠ざかっていきました。
「もし」を考えてみますと…、「ハードル」の高さに気がつきます。
この先も独身のまま生きていくのものと思っています。
ですが、
ほんの少し40代となった私が「もし」結婚することがあるならば…、
と想像してみたいと思います。
結婚するには、まずはパートナーと出会い、
お互いに好意を持つことから始めなければなりません。
このスタートラインの時点から私には大きな悩みがあります。
それは、40代となった私の容姿です。
「容姿」の悩みは、私の40代からの恋愛では避けて通れない問題だと思っています。
どうしても20代、30代の頃の容姿ではなくなってしまっています。
どうしても40代の姿なのです。
「お相手も40代なのだから…」と思っても、
問題の核心は「お相手」ではなくは、
私が、「私自身の」容姿に自信が持てないことなのです。
おそらく「お相手」となる方も、20代や30代の頃の若々しい姿ではないと思います。
だからといって、
「私が」今の姿のままで「出会う」ことに前向きになれないのです。
これは私自身の問題なのです。
もし私が30代の頃「いずれ結婚するのだから」という気持ちで、
日々を過ごしていれば、
もう少し❝努力❞もして、自分の容姿を❝保つ❞ことで、今の姿よりは自信を持てたのかもしれません。
現実は、何もかもに気力を失い、無気力のまま10年以上生活をしてしまった❝ツケ❞が、
鏡に映る自分の姿に表れてしまっており、
「この姿のままではとても、とても恋愛だなんて…」と怖気づいてしまうのです。
肉体的な衰えは避けては通れないものです。
40代となった私を冷静に見直しましても、やはり40代の姿をしています。
恥ずかしながら、
20代の私の姿がいかに「良い」状態だったのかと…、今になって思います。
私の40代からの恋愛は、
まずは「出会い」のステージの上に、
20代、30代に比べて、❝衰え❞けして自信の持てない容姿のままで立たなければならないことに、
大きな❝壁❞を感じてしまいます。
「もし」生活をともにすることがあるなら、「役割分担」をどうするかの問題も
そして、もしパートナーとの「共同」生活が始まるとして、
18歳から現在まで20年以上も一人で生活してきた私が、
誰かのペースに合わせて生活ができるか、大きな不安があります。
社会人になってからはとくに、朝は同じ時間に起きて、夜は同じような時間に食事をして、
同じような時間に就寝して、を繰り返してきましたが、
それがパートナーの時間、生活リズムも気にしながら、起きて、食事をして、就寝して…、
できるでしょうか。
(心の奥では「誰かの生活リズムに合わせるのは煩わしい」…と思う気持ちもあるようです。)
またパートナーと生活するとして、
「役割分担」にも不安が残ります。
大きな「役割分担」の一つに食事・料理があります。
食事・料理について気になるのは、私は食事にまったくこだわりがないのです。
20代の頃は何とか料理(自炊)をしておりましたが、
何事にも無気力となってしまった30代からは、
料理にも興味を失ってしまい、「どうせ一人で食べるだけだから」と、
コンビニで、レンジで温めるだけのおかずやお弁当を買ってきて、
「食べるだけ」の生活になってしまっています。
コンビニやスーパーのお惣菜やお弁当で、私はとくに不満はないのです。
ですが、パートナーはどう考えるのでしょうか。
今から料理を定期的に(=毎日)することができるでしょうか。
(心の奥から「面倒」…という言葉が出てこようとしています。)
とはいえ、これまでは「自分のため」だけに料理はしたくなかっただけで、
「誰かのため」、パートナーのため、という心の支えができれば、料理も楽しくできるものなのでしょうか。
とても不安です。
また生活の中の「役割分担」では、
洗濯や掃除もでてきそうです。
私は18歳の頃から一人暮らしですので、洗濯や掃除は自分で行っています。
ですが、それはあくまでも「一人分」です。
「一人分」であれば、洗濯や掃除はそれほど時間は掛かりません。
洗濯は1週間に一度まとめてやります。
部屋の掃除は、一人分の汚れしか出ませんので、3週間に一度程度しか今はしていません。
それが「二人分」になるとどうなるのでしょうか。
おそらく洗濯も1週間に一度では済まなくなるでしょう。
部屋も二人分汚れるので3週間に一度ということでは済まなくなるでしょう。
(「大変そうだな」と正直に思ってしまう私がいます。)
40代からの恋愛、結婚、その後、の最大の懸案は「子ども」
40代からの恋愛、結婚、そして…、の最大の懸案は、
やはり「子ども」だと思います。
肉体的な問題で、私は子どもは難しいと既に諦めています。
ただ、お相手はどのように思われるか…。
これは40代からの結婚にとって大きな問題だと私は感じています。
結婚後の人間関係の大きな「紐帯」は、子どもであることは間違いがないようです。
結婚における子どもの存在は、とても大きなウェイトを占めていると感じています。
地域社会との関係も、子どもという共通項を通じた関係が多くあるようです。
子どもの成長とともに、その段階ごとに、子どもを紐帯とした人間関係が築かれていくようです。
子どもという紐帯がなければ、そのような結婚後に増える人間関係は存在しえなくなってしまいます。
40代からの恋愛、結婚にとって、
子どものいない「二人だけ」の関係で、
喜びを分かち合い、時に苦しい時期をともに乗り越えたり、
結婚後の長い人生を過ごす❝覚悟❞があるか、
このことは大きな、大きな問題だと思うのです。
このようなことは「出会い」のステージを超えてからの話しだと思いますが、
想像だとしても、40代からの恋愛、結婚、その後、を考えますと、
避けては通れない問題と思ってしまうのです。
さて、「考える」のは自由です。
「考えた」結果、どのような人生を歩むかも自由です。
私は本心では、
このまま独りで生きたいと思っているのか、
大変だと想像できたとしてもどなたかと生きたいと思っているのか、
どちらなのでしょうね。