Column理想的なlife寂しさから誰かに❝あわせて❞みても、孤独な気持ちは消えませんでした。「楽しい」だけでは埋められないコトもあります。

寂しさから誰かに❝あわせて❞みても、孤独な気持ちは消えませんでした。「楽しい」だけでは埋められないコトもあります。

心から関心を抱けるなにかを人間関係の軸にしたいものです。

私の孤独の始まり、人間関係の「軸」から外れてしまう。

20代半ばに大学時代からのパートナーとお別れをしてから、
40代の現在に至るまで私は、一人アパート暮らしの独身生活を送っております。

かつてのお友だちたちが20代後半から結婚しはじめ、家庭を持ち、家族が増えるにつれて、
独身の私は「お友だちの輪」から少しずつ外れだし、
30代になってからは、お友だちの「幸せ」を素直に喜んであげられなくなってしまい、
お友だちの「幸せ」を心の奥では妬ましく思っている、思ってしまう自分が本当に嫌になり、
私の方からもお友だちから距離を取るようになってからは、
孤独なほぼひきこもり生活が始まりました。

会社では正社員の方々に陰で「派遣さん」と呼ばれ、「仲間」には入れて頂けず、表面的なお付き合いに終始しておりました。

両親とは、大学進学を機に地元を離れてからは、年に1回も会わない年があるなど、適度な距離を保ったままです。

社会人になってからも引っ越すことなく、学生時代と同じアパートで生活を続けておりましたが、隣の部屋にどのような方が住まれているのかも分からないほど、❝ご近所付き合い❞はまったくしておりません。

とくに趣味もなく、趣味の友人もおりません。

私は、
両親=家族、
友人、
職場、
地域、
趣味、
といった、本来でしたら人間関係の軸となるようなコミュニティからほぼ外れてしまっております。

振り返りますと、
私が❝こども❞だったせいで、大学時代からのパートナーとお別れを迎えてから、新たな人間関係の「軸」を築けずに、孤立を深めていった気がします。
30代はほぼひきこもり生活を続け、40歳の誕生日を機に、自分で自分を救ってあげようと、前を向いて行動するように決意しました。
(詳しくはここに書かせて頂きました。「独身40代私の『孤独』との向き合い方~「ないものねだり」をやめてみる。」)

十数年ぶりの「お誘い」

仕事の内容はほぼ変わらないまま、派遣社員から「限定社員」に変わっておりましたある日、
所属部署でゴルフコンペが企画され、❝一応❞私にも声を掛けて頂きました。

お誘いに少し戸惑っていたところ、
私よりも年上の上司から「今度、このコンペに合わせてゴルフを始める人向けに、みんなでゴルフ練習場に行って、練習会をやるので来ませんか?」とお誘いを受け、
「とにかく前向きに生きる」と心に決めていた私は、意を決して、十数年ぶりに人と人との「集まり」に参加することにしました。

ゴルフの練習会に参加したのは、私と、
私の上司と、私より年がずっと若い5人の社員でした。

私の上司は、私に丁寧にゴルフを教えてくれました。
私よりもずっと若い社員も、私に気を使ってよく話し掛けてくれました。
十数年振りに、人と人が集まる「会合」に参加して、
楽しい一時でした。

「本当に」ゴルフをしたいのか、それとも「本当は」また「お誘い」を頂きたいのか

ホントに楽しいと思える時間だった…のですが、
ふと…、心によぎることが…。

「私は本当にゴルフがしたいと思ったのでしょうか」
それとも、
「私は人から誘って頂けたことが嬉しくて参加したのでしょうか」

私は、おそらくゴルフのお誘いでなくとも、
「人から声を掛けられたことが嬉しくて」参加していたでしょう。
一方で、私に声を掛けて下さった上司は、
「ゴルフだから」声を掛けて下さったのです。

私は、上司や年下の社員から「声を掛けてもらう」ために、ゴルフをやるのでしょうか…。

ゴルフももっと練習すれば、心から楽しめる「趣味」に変わるかもしれません。
ですが、私はゴルフ❝そのもの❞には、そこまで関心を抱くことはできませんでした。

もし私が学生時代までにスポーツに打ち込んだ経験でもあれば、ゴルフもお誘いを頂いた時点で、もっと関心を抱けていたのかもしれませんが、私は基本どのようなことにもさほど強い興味を惹かれることのない「無趣味」な人なのです。

人と人との関係は、
どこか譲り合うことで成り立っているのかもしれません。

100%ぴったりと相性が合わなくとも、
どこかで許し合いながら関係を保っていくのもかもしれません。

ですが、40代の私には、
心からは好きにはなれそうもないゴルフを、
「また誘って頂きたいから」「また集まりに声を掛けて欲しいから」、
とお相手に❝合わせて❞続ける余裕はなさそうです。

ゴルフという共通のスポーツを通じて、参加した「集まり」でしたが、
私の関心は、
スポーツよりも、十数年ぶりに「声を掛けて頂けた」ことにあったようです。

ゴルフというスポーツが「楽しかった」というよりも、
「人の輪」に入れたことが「嬉しかった」ようです。

もし私が、ゴルフそのものを心から楽しめたなら、
それは素晴らしい「趣味」になったことでしょう。
ですが、ゴルフそのものよりも「また声を掛けて頂きたいから」が、
ゴルフを続ける理由だとしたら、
それは孤独を埋めるどころか、寂しい気持ちがもっと増えてしまう気がします。

誰かが、私に関心を持って頂くためだけに、
関心の抱けない「趣味」に興じることは、
私の孤独を癒してくれそうにありません。

もしかしたら、ボランティア活動のような社会的な意義を持つ活動の方が、
本当の意味での参加する「楽しさ」を得られるのかもしれません。
40代の私は、寂しさを紛らわすために「ただ楽しい」だけの「集まり」に参加することでは、満たせないものがありそうです。

40代で独身の私ですが、
私なりに孤独と向き合いながら、
私なりの人生の意義を模索したいと思います。

孤独だからといって無理をし過ぎることなく。

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プロフィール

学生時代に想い描いていた人生は、自分の社会的な存在価値を表してくれるような❝しっかりとした❞会社に就職して、20代で結婚し、30代で家族に恵まれ、子育てや家庭生活と仕事を両立させる、そのような「理想的」な生活。 しかしながら、現実は、「理想」とは程遠く、新卒者として臨んだ就職活動に❝失敗❞し、非正規社員として社会人をスタートし、学生時代からのパートナーと別れ、友人たちとも疎遠となり、20代後半から「孤立」し始め、30代はずっと「孤独」な生活を過ごすことに。 「孤独」の痛さや、孤独の中で毎日働く「虚しさ」を10年以上経験する。 40歳で「前向きに」生きることを決意し、カウンセラーの資格を活かし、自分と同じような「孤独」と「仕事」に不安と悩み、虚しさを抱えた方々に、ナラティブ・アプローチ(『語り』を通じた問題解決)を用いて、寄り添う活動を行っている。

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