「孤独」の始まりは社会人1日目から
私は40代で、独身で、親元を離れ一人アパートで生活しています。
仕事も新卒者の時点から非正規社員=派遣社員で、同期も、同僚もおりません。
毎日、そして休日も独りです。
正直、孤独です。
ですが、この孤独は私が選んだことでもあります。
大学進学を機に親元を離れ、
就職活動に失敗しても非正規社員=派遣社員として、大学時代と同じ一人暮らしのアパートでの社会人生活を選んだのは私です。
親元=実家に戻っていれば、両親との生活と、両親が築いてきた地域コミュニティでの生活がそこにはあったはずです。
私が自分で、両親と同居する煩わしさと、地域コミュニティに溶け込む苦労を避けたのです。
今の社会では、周囲の人びとに同調したり、❝合わせたり❞する煩わしさを自らの意志で避けることができますが、
煩わしさを避けた代償としては、孤独がつきまとってしまうようです。
振り返りますと、この一人で孤独な生活は、
20代半ばから現在に至るまで約20年余り続いています。
分岐点の一つとなったのは、学生時代からお付き合いしていた方と20代半ばで別れたところでした。
別れに至ってしまった原因は多分に私にありました。
私は新卒者としての就職活動に失敗し、正社員としての内定を得られないまま卒業時期を迎え、已むなく非正規社員=派遣社員として社会人をスタートさせました。
派遣社員の私は、同じく派遣社員として派遣されていた先輩の派遣社員とも仲良くなれず、
派遣されていた会社の正社員の方々とも希薄な人間関係のままで、
社会人の第一歩目にして「孤立感」に苛まれました。
私に仕事を与えて、業務の指示をしてくれた派遣先の会社の正社員の方は、とても丁寧な方でしたが、仕事を与える派遣先の会社の正社員と派遣されている派遣社員の私との関係は、とてもドライものでした。
派遣先企業の正社員の方からすれば、6カ月契約で派遣されている私に、必要以上に気を遣うこともないですし、与えた仕事以上のスキルを身につけてもらう必要もないので、1日の中で交わす言葉は「おはようございます」と「お疲れさまでした」の二言だけの日もありました。
同じフロアで働いていても、正社員と私のような派遣社員との「距離感」を感じました。
その点、派遣先の正社員と正社員の間で交わされるミーティングは、傍から見ていても「仲間意識」を感じられて、とても私には羨ましかったです。
私の隣には同じく派遣社員の❝先輩❞がおりましたが、
先輩はこれまでも短期間で同僚の派遣社員が退職するたびに、仕事を一から教えなければならないことに嫌気が差していたらしく、新しく派遣されてきた私も「どうせ直ぐに辞めるでしょう」と思われていたようで、積極的に「仲良く」はしてくれませんでした。
新卒派遣社員の私には❝先輩❞しか頼れる人がおりませんでしたが、❝先輩❞からすれば私は「また直ぐに辞める可能性の高い面倒な後輩」だったのでしょう。
私は職場での「孤立感」を深めていきました。
自分の境遇を悔やみ、相手の活躍を妬むことで失ったものは、もう取り戻せない
私も大学の同期と同じように、
新卒者として会社に迎えられ、歓迎会を催してもらったり、
新卒者の同期と飲みに行ったり、
先輩とランチをしたりと、
「普通」の社会人を送るものだと想像していました。
現実はあまりにも想像していた「社会人」とは掛け離れており、
私は、派遣先の正社員の「仲間」には入れてもらえず、
同じ派遣社員の❝先輩❞にはあまり相手にされず、
毎日、与えられた仕事を淡々とこなす日々が続きました。
職場での「孤立」と「孤独」は4月に初出勤した日から始まっていました。
大学で同期だった当時お付き合いしていた方は、
「普通」に正社員として入社し、働いており、
「今日はこんな仕事を任された」、
「社員研修も沢山いれられてキツイ」、
「明日は会社の同期と飲みに行く」、
「今週末は会社の先輩たちに誘われて出掛ける」…、
私は自分が置かれている「孤立」した状況では、
お付き合いしていた方の「普通」の会社での話しも、
羨ましさと惨めさからまともに聞いてあげることができませんでした。
毎日自分の境遇を悔やんで、前を向こうとせず、他人の活躍を羨んでばかりいた私に、
別れの時が来ました。
今思えば当然です。
会えば、自分の不幸な状況ばかりを口にして、相手の前向きな言葉に嫌な顔をしていては、
誰だって会いたくはなくなるでしょう。
別れの原因のほとんどは、私の自分の不遇を嘆いてばかりいたことにあります。
20代半ばからSNS(FacebookやInstragram)を見ることをやめました。
「お友達」だった方々の幸せそうな日々を見ることに耐えられなくなったからです。
「結婚しました」や「家族が増えました」といった❝喜ばしい❞ご報告も、私には素直に喜べなくなっていました。
それどころか…、「お友達」の幸せに対して、醜悪な想いすら抱くようになってしまっておりました。
「お友達」だった方々の❝喜ばしい❞ご報告に、素直に喜べない私自身が「本当に嫌な人」になった気がして、とても苦しかったです。
「どうして私だけこのような状態になってしまったのだろう…」、
SNSを開けば、このような思いにいつも行き着いてしまっておりました。
私の孤独との向き合い方は、ありのままの自分を認めることから
学生時代からお付き合いしていた方との別れ以降は、
出会いのチャンスがなかなか訪れないまま、
20代後半になり、30代になり、30代後半になり、
気がつけば、独身のまま40代となっていました。
30代の頃は「いつか良い出会いが巡ってくるかもしれない」と思っていましたが、
40代となった今は、
「都合よく相手から手を差し伸べてくれることはない」と悟りました。
私は20代で学生時代からお付き合いしていた方と別れを迎えてから、
ずっと一人で生活をしてきました。
ずっと孤独な気持ちを抱えています。
40歳を迎えた私は、ずっと抱えていた孤独な気持ちとの向き合い方を決めました。
私の孤独との向き合い方は、
「私という人を、
私が認めてあげる」ことから始めました。
私は将来結婚していたかもしれない方を、
「変えることのできない」自分の境遇ばかりを悔やんで、
お相手の順調な社会人生活を妬んでしまい、
失ってしまいました。
その後も「変わることのない」境遇に向き合うことなく、無気力な30代を過ごしました。
40歳になり、
「もうここまで来たら、ありのままの自分を受け入れてあげよう」、
「一人で嘆いていても、誰も助けてはくれない」、
「40代独身、おそらく残りの人生も独身で生きていかなければならない私を認めよう」、
「一人でも意義ある人生を送ろう」、
と思ったのです。
私を、私自身が嫌っても、蔑んでも、
ただ私の中の言葉では表現したくない程の❝真っ黒い感情❞が増していくだけでした。
この❝真っ黒い感情❞は、私自身でしか理解できないですし、私しか取り払ってあげることはできません。
まずはこのような❝真っ黒い感情❞で満たされている私自身をすべて認めて、
それでも、生きていかなければならないのですから、
これ以上、自分で自分を苦しめることはやめようと思ったのです。
「ないものねだり」をやめて、自分の人生を意義を与えてくれる愉しい時間をつくる
15年程の孤独な生活は、
自分から何も動こうとしなかった自分の人生そのものだったのです。
40歳になって「急に私は変わりました」といっても、
都合よく手を差し伸べてくれる人は現れることはなく、
おそらく残りの人生は独身のままでしょう。
そのこともすべて受け入れて、私は、
一人の人生でも意義あるものに変えるために、
独りで愉しむことに決めたのです。
私の孤独との向き合い方は、
「ないものねだり」はやめて、
自分の置かれている境遇の中でも精一杯努力して、
自分の人生に、自分で意義を与えていくことから始めています。
自分の人生に、自分で意義を与えることの一つは、
目一杯自分で一人の人生を愉しむことです。
一人でも楽しめる場所を探すことです。
孤独な毎日の中で、
「あ~、楽しい」、
「あ~、素晴らしい」、
「あ~、キレイ」、と思える時間を少しでも増やしていくことが、
私の一人の人生に意義を与えてくれると思うのです。
「一人でも愉しい人生を」、
これが私にとっての人生に意義を与えるものだと思うのです。
私は自分が変わることで、
これからの人生をともに歩むパートナーを探すのではなく、
一人の人生を愉しむことに決めたのです。
「ないものねだり」をやめて、
「一人の人生を愉しむ」、
これが私の孤独との向き合い方です。