私の「時間」で❝鮮度❞があったのは20代半ばまで
いまの私は40代です。
0歳から10歳までの記憶は漠然としており、
10歳から20歳までは毎日が新しい発見の連続で、時間は❝鮮度❞を保ったままゆっくりと流れ、
20歳から30歳までは社会人となり、生活リズムも一定となり、時間は速く進むようになり、
30歳~40歳までは毎日変化のない日々となり、時間はさらに加速し、
40代になってからは1年がかつての❝鮮度❞ある時間の2~3ヵ月程度に思えます。
振り返りますと、私の「時間」は20代半ば頃から、❝鮮度❞を失い、単調に「過ぎ去って」いくものに変わっていったのだと思います。
私も大学3年生の頃までは、
「普通」に就職して、
「普通」に大変でも達成感のある仕事をして、
「普通」に結婚して、
「普通」に家族が増え、
「普通」に子育てをして、
「普通」に家族を中心とした人間関係を広げながら、生活をしていくものだと思っていました。
現実の私は、
新卒者としての就職活動に失敗し、
派遣社員=非正規社員として社会人をスタートして、
誰にでもできるルーティーンワークを日々こなし、
家族を築いていった友人たちとは疎遠となり、
同じ空間で働く正社員との人間関係は希薄で、
40代になった今も独身で、
月曜日から金曜日までは淡々と仕事をこなし、
土日は人生を一人で愉しむために模索する日々となりました。
私の人生の転機は新卒者として臨んだ就職活動かと
大学3年生の頃に「普通」と思っていた人生のイメージと、
「現実」の私の人生とのギャップはどこから生まれてしまったのでしょうか。
「現実」の私にとって大きな転機は、
新卒者として臨んだ就職活動で、正社員としての内定を1社も得られなかったことかもしれません。
「内定ゼロ」から連なる新卒派遣社員としての社会人スタートも、私のイメージしていた「普通」の人生からの分水嶺になったのかもしれません。
大学生の頃に思い描いていた社会人のイメージと掛け離れた働き方となってしまってことで、
私生活もなんとなく無気力になり、
結婚のタイミングも逸してしまい、
30歳~40歳の単調な生活の記憶はあまり残っておらず、
気がつけば、孤独な40代となっておりました。
40代となり、
しだいに孤独と人生の意義について考えるようになりまして、
その想いを綴ることを始めてみました。
この想いを綴ることが、私にとっての意義となるかもしれない淡い期待を抱きながらです。
時間は戻せませんが、これから変えることはできるかもしれません。
20代半ばからの「時間」は走馬灯のようなものでした。
何をしたい訳でも、
何をしたくない訳でもなく、ただ流されながら生活をしていました。
自分の意志はなく、自分から動き出す気力もありませんでした。
20代半ばから40代までの時間は取り戻すことは叶いませんが、
これから50代までの時間、
60代までの時間をどう使うかはこれから決めることができます。
ある調査結果によれば、
「同居の家族以外に頼れる人」を60歳以上の方に尋ねたところ、
「別居の家族・親族」が63.1%、
「友人」14.9%、
「近所の人」15.0%、
「その他」9.6%、
と多くの人は、同居の家族以外に頼れる存在は「別居の家族・親族」のようです。
独身の私には「別居の家族」は両親しかおりませんが、私が60歳になる頃には、両親は頼れる人ではなくなっています。
どちらかと言えば、私が高齢の両親から頼られる存在になるのでしょう。
多くの人が60歳の頃に頼れる「別居の家族」は、私にはいません。
このままの希薄な人間関係の中で生活をしていては、
私が60歳になった時、「友人」や「近所の人」も頼れる人ではなくなっているはずです。
この調査では、
同居の家族以外に頼れる人は「いない」も17.6%と決して少なくない割合となりました。
私もこのままでは、おそらく頼れる人は「いない」60代になる未来がうっすらと見えてきています。
これまでに幾度となく映画や小説で綴られてきました、
「時間は戻せないが、これから変えることはできる」が心に沁みます。
いまさら「都合よく」私に寄り添ってくれる人は現れません。
未来を変えるには、自ら動くことが求められるのかもしれません。
40代の孤独と不安を受けとめながら、それでも意義深く愉しい人生を歩みたいと思っています。
【文中の参考・引用文献】
・内閣府「第9回高齢者の生活と意識に関する国際比較調査」(2021)