孤独を嘆き続けていても、❝都合よく❞手を差し伸べてくれる人は現れませんでした。
私は20代半ばに大学時代からのパートナーと別れてから、❝機会がなく❞40代の現在でも独身です。
大学時代までの友人たちとも30代になる頃には、みな疎遠になっていきました。
職場でも直接雇用で正社員の方々のコミュニティ=「仲間」には、派遣社員の私は入れてもらえず、仕事を通じた親しい人はいません。
アパートで一人暮らしをしているため、地域の方々との交流もありません。
私は、月曜日から金曜日まで朝夕に挨拶を交わす程度の職場で働き、
土日は、誰からも誘われることなく、一人で過ごす生活を10年以上続けています。
「独身おじさん友達いない」、
この言葉を目にしますと、今でも少し目をそむけたくなります。
私も独身で、友だちがいない、孤独な40代だからです。
10年以上、誰からも、何も期待されない、
孤立し孤独な生活を送ってきましたが、
40歳を機に「このままでは、自分があまりにも可哀想過ぎる」と思い、
ほんの少しでも「前向きに」生きてみようと決意しました。
10年以上の孤独な生活から確信したことは、
「自分から何もアクションを起こさない人には、
自分に都合よく❝救い❞の手を差し伸べてくれる人は、
現れない」ということです。
20代後半から30代半ばまでは、心のどこかで、
「そのうち私の孤独を癒してくれる❝相手❞がきっと現われるはず。
今はそのタイミングではないだけ…」と、
相手の方から、私に「声を掛けてくれる、はず…」と淡い期待を抱いていました。
現実は、
「なぜ自分❝だけ❞がこんなに不幸なのでしょう」と嘆いてばかりいる人の周りには、
誰に近づきたいとは思わないもので、
社会人になってから、友人は一人もできず、
恋人は出会いのきっかけすら巡ってきませんでした。
「自分に都合よく❝救い❞の手を差し伸べてくれる人は、現れない」ことを、
明確に悟ったあとに残されたものは、
「孤独とどのように向き合うか」でした。
女性の平均寿命は87.57歳のようなので、
私はこれから40年以上、独りで生きていかなければなりません。
孤独とも向き合わなければなりません。
孤独との向き合い方①:「過去」の自分を「物語」に書き出し、「これから」の人生を描いてみる。
私の「孤独との向き合い方」の一つは、
自分の「過去」としっかりと向き合い、「物語」として書き出すことです。
30代の「ひきこもり」時代は、自分がなぜこのように孤立して、孤独な生活をしているのか、
を冷静に見ることができませんでした。
頭の中は「なぜ私だけ…」という❝被害者❞的な思いだけが駆け巡り、
「なぜ孤立してしまったのか」、
「なぜ孤独な生活に至ってしまったのか」、
といった「現状分析」をすることまで至りませんでした。
40代で「カウンセリング」とカウンセリング技能の一つナラティブ・アプローチに出会ってからは、
ナラティブ・アプローチに則して、
自分自身の「過去」の想いや経験を「物語」として書き出すことを始めてみました。
頭の中で❝ぐるぐる❞と駆け巡っていた様々な「気持ち」を何度も、何度も、
「物語」として書き出すことで、
今、孤独で寂しい生活を送っている「理由」と「向き合う」ことができるようなってきました。
自分の本来は❝振り返りたくない❞「過去」と「向き合う」ことで、
「これから」どうすべきか、を考えられる状態になっていきました。
「過去」は変えることはできませんが、「これから」はつくることができる。
先人たちが残された言葉ではありますが、私もそう思います。
「過去」の自分と、「書く」、コラムとして「まとめる」ことで「向き合い」、
「過去」の自分を「ありのまま」受入れ、
「これから」の自分を幸せに❞してあげよう❞と前向きに考えられるようになりました。
都合よく誰かが手を差し伸べてくれて、
私を孤独から救い出してくれることはない「これから」の人生を、
いかに有意義で愉しく生きるか。
振り返ることで気分が酷く落ち込むこともありましたが、
それでも❝逃げずに❞しっかりと「過去」の自分と「向き合い」、
過去の「過ち」をすべて受け入れ❝清算❞してあげたことで、
「では、これからどう生きるか」の❝ステージ❞に入ることができました。
孤独との向き合い方②:独身でも「知的で文化的で」愉しい人生を送っている、という「アイデンティティ」を獲得するために努力してみる。
また「私の孤独との向き合い方」の2つ目は、
「知的で文化的な生活」をすることです。
私は❝たまたま❞チャンスに恵まれず40代で独身で、おそらくこれからの人生も独身で生きていくのでしょう。
「過去」の自分と「書く」ことで「向き合い」、「これから」どう生きようか、と考えた時、
私は、
「40代で独身でも、人生を意義深く愉しんでいる人」といった「アイデンティティ」(=自己同一性)を欲していることに行き着きました。
そして、私が獲得したいと願う「アイデンティティ」であります「独身でも、人生を意義深く愉しんでいる人」は、
(独身でも孤高に)「知的で文化的な生活」を貫いている人、だと思ったのです。
孤独でも、力強く生きていくためには、
私には自尊心を支える「軸」が必要なのです。
自尊心を支える「軸」は、(独身でも)「知的で文化的な生活」をしている人、という「アイデンティティ」なのです。
30代までの私は、
独身で、仕事は非正規社員で「働きがい」や「やりがい」を持つことはなく、
親しい人もおらず土日は独り寂しくアパートで過ごしている、
可哀想な30代独身者、という「アイデンティティ」(=自己同一性)に属していました。
このような❝惨め❞で辛い10年余りを過ごしてしまった経験から、
一人でも愉しい人生を歩める、
一人でも愉しい人生とは「知的で文化的な生活」を送ること、
という「これから」進むべき人生の「座標」を見つけ出していったのです。
孤独との向き合い方③:「誰かの役に立つ」ことを考えてみる。
私の「孤独との向き合い方」の3つ目、最後の方法は、
「誰かの役に立つ」ことを考える、ことです。
人生で最も辛いことは、親しい人が周りに誰もいない状態、つまり孤立することだと思います。
誰からも、何も期待されないことの辛さは、経験してはじめて気づくことでした。
私は大学進学を機に、親元を離れ、アパートで一人暮らしをはじめてから、現在に至るまで、ずっと一人暮らしを続けています。
もし親と一緒に生活をしていれば、
もし誰かと結婚し、家族と生活をしていれば、
誰からも、何も期待されない、という経験をすることもなく、
その辛さや酷い虚無感に苛まれることもなかったと思います。
❝あたり前❞のように、パートナーの❝わがまま❞に付き合っていた頃や、
友だちの都合に合わせて行動していた頃は、
「面倒だなぁ」と煩わしい気持ちにもなっていましたが、
孤立し、孤独な生活を長期間続けた末に辿り着いた感情は、
「面倒だなぁ、と思えていた頃に戻りたい」でした。
誰からも、何も期待されない虚無感に比べれば、
「面倒」なことは、むしろ「幸せ」だった、と気づかされます。
これはきっと、結婚して、子育てに追われている同世代には、理解することが難しい感情だと思います。
これからの人生も一人で「前向き」に生きていくためには、
誰からも、何も期待されない虚無感を「埋める」必要があると思うのです。
そのためには、
自分から「誰かの役に立つ」ことを考えることが必要だと思うのです。
とはいえ、すぐに「誰かの役に立つ」ことを始めるのは、容易いことでありません。
ボランティア活動に参加するにも、自分の興味関心が向く活動でなければ、長続きはしません。
地域活動に参加したいと思っても、「地縁」がない私が飛び込める余地がどこにあるのか、なかなか見当がつきません。
それでも、私は酷い虚無感に苛まれる孤独な状況から、
ほんの少しでも「誰かの役に立っている」という「生きた証」を、
「前向き」に生きる「軸」の一つとしたいと思っているのです。
自分の「過去」と「向き合う」ためにはじめました、このサイトでの執筆活動でしたが、
私と同じ孤独を抱える方と出会いから、
私の孤独な経験が「誰かの役に立てる」ことを知り、
新たに「カウンセラー」としての活動をはじめました。
なんの取柄もなかった孤独な私でも、
「誰かの」そして「あなたの」ための活動ができることで、
自分の「生きる意義」を見出すこともできました。
孤独は何よりも苦しく、誰かの「役に立てる」ことは「生きがい」に繋がる、
ことを実感しました。
そして、「カウンセラー」としての「仕事」は、
非正規社員として「雇われて」いる時には見出すことができませんでした、
「働く意義」についても明らかにしてくれました。
「誰からのために」働くことが実感できることで、「働く意義」も見いだせる、と。
「望む」人生は人それぞれ、孤独と「向き合わない」という選択もあると思います。
40代で、独身で、親しい人もいない私の「孤独との向き合い方」は、
①「過去」の自分を「物語」に綴ることで、「これから」を「前向き」に考えること、
②孤独でも孤高に「知的で文化的な生活」をしている「アイデンティティ」を得ようと努力すること、
③「誰かの役に立つ」ことを考えること、
の3つの方法を実践しています。
「孤独との向き合い方」は人それぞれです。
むしろ「孤独と向き合わない」という生き方もあるのだと思います。
私は、自分の「過去」と向き合うことがとても苦痛でした。
とくに孤独になってしまった「理由」に触れることは、自分の「過去」の過ちと向き合わざるを得ず、胸が締め付けられる思いでした。
私の場合は、たまたま「カウンセリング」と出会い、その手法を自分に用いることで、なんとか「過去」の自分の❝過ち❞をすべて❝清算❞することができましたが、すべての人が同じように「過去」と向き合えるとは思っていません。
自分の「過去」と向き合いたくない人もいることを私は知っているからです。
無理をすることなく、人それぞれ「望む」生き方を選ばれることを陰ながら祈っています。
【文中の引用・参考文献】
・「令和3年簡易生命表の概要」厚生労働省(2022)