Columnカウンセラーの「仕事」を始めたことで「働く意義」と「生きる意義」を知りました。~40代独身の私が「何のために働くのか」の一端に触れた瞬間

カウンセラーの「仕事」を始めたことで「働く意義」と「生きる意義」を知りました。~40代独身の私が「何のために働くのか」の一端に触れた瞬間

独身の私が「誰かのため」に「何か」をするためには、自ら動くことが必要でした。

できることなら正社員として社会人をスタートさせたかった。

私は「学校から社会へ移行」する際の就職活動に失敗して、大学を卒業後すぐに非正規の派遣社員として働き始めました。
私は「新卒者」「社会人1年目」と思っておりましたが、派遣された会社の社員の方々からは「短期間でローテーションする派遣さんが来られた」としか見られておりませんでした。

私が学生時代に思い描いておりました「入社式」も「新入社員研修」も「同期との飲み会」もありませんでした。
私に与えられました「仕事」は、短期間で、誰でも覚えられますが、「誰かは」行わなければならない「ルーティーンワーク」でした。

仕事は、なにも社会人研修を受けていない「新卒者」の私であってもすぐに覚えることができ、数日で「慣れ」が生じてくるような、❝単純作業❞でした。
❝単純作業❞ではありましたが、毎日、「誰かは」行わなければならない仕事ですので、正社員ではなく、私のような「ジョブ」で雇用される期間が定められた非正規派遣社員が担っていました。

毎日、決まったルールに従って、データを入力する仕事。
この仕事=「ジョブ」には、時間給1,200円という「値段」が付いていました。
私が「新卒者」の時に派遣会社と「契約」したのは、
派遣先企業のA社に朝8時までに出社して、データ入力の仕事を、夕方5時まで、時間給は1,200円とし、契約期間は6カ月とする、
という内容でした。

同じ大学を卒業して、正社員として働き始めたかつての友人たちには、
契約期間も、範囲が定められた業務内容も、時給の提示もありませんでした。

大学卒業から5カ月が経過しようとした頃、私が労働契約を結んでいる派遣元企業の担当者が来られ、
「もうすぐ6カ月間の契約期間が満了しますが、
 次も契約を結びたいと(派遣先企業の人事担当者が)仰って下さっています。
 (派遣契約の)❝更新❞で良いですよね」と私に告げました。

私は、1年以上続けました就職活動で数十社から「不採用」通知を受け、結果的に内定ゼロのまま卒業時期を迎え、茫然自失のまま「緊急避難」的に派遣会社と労働契約を結び、已むなく派遣社員として働き出しました。

派遣社員から「抜け出す」自信がありませんでした。転職を断念した理由。

「できることなら」正社員として働きたかったのですが、
就職活動で数十社から「不採用」通知を受け取った恐怖心と、
❝しっかりとした❞社会人研修を受けさせてもらっていなかったことと、
5カ月間で経験した職務経験がルーティーンワークのみだったこと、
などが頭の中を駆け巡り、
今の派遣社員の状況から、正社員に転職できる「自信」がもてず、
社会人1年目の10月にはじめて6カ月間の派遣契約を「更新」しました。

10月になり「新たな」労働契約の初日を迎えましたが、
朝8時に出社し、挨拶を交わし、デスクに座り、データ入力をはじめ、夕方5時を過ぎれば退社する、
このルーティーンに変化はみられません。
私が「更新」したのは、派遣先企業のA社に朝8時までに出社して、データ入力の仕事を、夕方の5時まで、時給1,200円という「契約内容」をそのまま、もう一度結び直しただけですので、
「仕事内容」も含めて、まったく同じ状況が❝とりあえず❞6カ月間続くことになります。

そして、社会人1年目の3月に、まったく同じ「契約内容」のまま、2度目の「更新」をして、
私の社会人2年目の春も、1年前とほぼ変わることなくスタートすることになりました。

派遣労働、派遣社員そのものが問題なのではなく、
問題だったのは、私の「人生」に対する意識だったのかもしれません。
誰でもが、すぐに覚えられる仕事を、6カ月契約で行ったところまでは経験としては良かったのですが、
6カ月が過ぎ「更新」、そして次の6カ月後も「更新」、そしてその次の6カ月も…、
と気がついた頃には、大学で同期だった友人たちが、さまざまな職務を経験し、幅広い知識や経験を得ていく一方、私は仕事に対する知識や経験が新入社員の頃からほぼ変わらないポジションにおりました。

ますます仕事を変えること、転職することが難しい状況になっていました。

私が契約した「ジョブ」からは「やりがい」を得ることは難しかったようです。

仕事のそのものにも、
働きがい、やりがい、面白み、チャレンジ精神、挑戦、達成感、充実感…、
といったものを一度も感じたことはありません。

最初の派遣契約を結んだ時点から、変わることのない狭い範囲の仕事=「ジョブ」は、
私が仕事内容や目標を決めることはできず、
創意工夫して仕事を行うことは求められず、
早く仕事が終わっても褒められることはなく、
毎日❝淡々❞とデスクに座って、データを入力するが「仕事」のすべてでした。

以前も参照しましたが、
仕事でモチベーション=やる気が上がる、ためには、
①自ら目標を設定し、
②その目標を達成する方法を自ら決めて、
③実際に行動し、
④自らの力で目標を達成し、
⑤目標を達成したことを適切に評価される、
ことが大切のようです。
(詳しくここに書かせて頂きました。「仕事の『モチベーションが上がる』心理学的解説を聞いて私が思うこと。~心理学は大切ですが、心理学だけでは変えられない現実も。」)

これは心理学のモチベーションに関します一つの知見ではありますが、この考え方に沿って見てみますと、
予め定められたルールに従って、狭い範囲の業務を遂行することを期待されていた、私が結んだ労働契約を何度「更新」を重ねてみても、「仕事の面白さ」や「やりがい」には繋がらないことは、妥当だったのかもしれません。

新卒者から非正規の派遣社員として働き出し、十数年後に「直接雇用」の非正規社員に雇用契約は変わりましたが、仕事内容は、派遣社員の頃と変わることなく「ジョブ」のままでした。
仕事に「やりがい」を感じることなく、そして私自身は孤独な40代の独身者になりました。

「カウンセリング」との出会いは「自分を癒すため」がきっかけ。

仕事に「生きていた」訳でもなく、
趣味に「生きていた」訳でもなく、
家族・友だちに「囲まれていた」訳でもなく、
ただ一人アパートで生活する孤独な40代となってしまった私は、
これからの人生を少しでも「前向き」に生きるため、
しっかりと孤独に至った「過去」と向き合うツールとして、
「カウンセリング」の知識と技術を学びました。
(詳しくはここに書かせて頂きました。「『カウンセラー』との出会い、まずは❝可哀想❞な自分をカウンセリングの知識を使って『癒してあげたい』と思ったことから。」)

産業カウンセラーの資格を取得した後、たまため目にしたカウンセリング技能の一つ「ナラティブ・アプローチ」の「自分の『物語』は何度でも書き直せる」に強く共感し、
自分の「過去」を自ら何度も、様々な視点から「語り」ながら、
「これから」の独りの人生を意義あるものに、そして愉しむために、その道標を記してみることにしました。
それがこのサイトの始まりでした。
(詳しくはここに書かせて頂きました。「『ナラティブ・アプローチ(『語り』を通じた問題解決)』との出会いとその実践、そして私が『カウンセラー』として活動をはじめるきっかけ。」)

このサイトの始まりは「自分のため」でした。
「自分のため」に始めたサイトと執筆活動でしたが、このサイトを偶然見つけられた、私と同じ「孤独」と「孤立」に苛まれておりました方とのメールのやり取りの中で、
「あなたほど、孤独の辛さを実体験として知る『カウンセラー』はそう多くはないでしょう。
 あなたには、『カウンセラー』として孤独と人生の意義に悩む『クライエント』のために活躍して欲しいと思っています」と告げられたことをきっかけに、
本当に長い間、誰からも何も期待されない人生を過ごしてきた自分が、
もし「誰かの役に立てる」ことがあるなら、
自分の人生の意義を確証するためにも、
【孤独】と【仕事】に関する悩み相談を「やってみよう」と決めたのでした。
(詳しくはここに書かせて頂きました。「誰からも、何も期待されない孤独を経験した私が「カウンセラー」として「あなたのために」尽くす活動をはじめるまで。」)

40代ではじめて「自分で」決断したことで、「生きる意義」を見出すきっかけに。

「カウンセラー」としての「仕事」をはじめるきっかけは偶然でしたが、
「自分で」決めました。
また、これまで得た知識と技術と経験をすべて出し切って、クライエントの悩みに寄り添う「カウンセリング」という仕事内容を私自身が定めました。
そして、「カウンセリング」という仕事を通じて、クライエントから直接感謝の気持ちを頂戴します。

私はカウンセラーの仕事を始めたことで、はじめて「働きがい」や「仕事のたのしさ」を知りました。
「人の役に立てる」ことが、こんなにも人生に「意義」を与えてくれるものだと知りました。
「人の役に立った」実感が、こんなにも人生を「価値あるもの」と確証させてくれるものだと知りました。

私は独身で、一人暮らしで、家族や親しい友だちはおりません。
10年以上ずっと孤立感と孤独という感情に埋め尽くされてきました。
独りでずっと寂しかったです。
「生きる意義」や「働く意義」が見出せませんでした。

惨めな人生を歩んできました私でも、
自らの孤独と働く意義を探し続けてきた経験を綴ることと、
カウンセリングを提供することで、
「誰かのため」、「あなたのため」に「役立つ」ことができるなら、
私の人生もそう捨てたものではない、と思えたのです。

「あなたほど、孤独の辛さを実体験として知る『カウンセラー』はそう多くはないでしょう」

私は言葉に導かれ、そして救われました。


【文中の参考・引用文献】
・「人を伸ばす力」エドワード・L・デシ 桜井茂男訳(2011)

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プロフィール

学生時代に想い描いていた人生は、自分の社会的な存在価値を表してくれるような❝しっかりとした❞会社に就職して、20代で結婚し、30代で家族に恵まれ、子育てや家庭生活と仕事を両立させる、そのような「理想的」な生活。 しかしながら、現実は、「理想」とは程遠く、新卒者として臨んだ就職活動に❝失敗❞し、非正規社員として社会人をスタートし、学生時代からのパートナーと別れ、友人たちとも疎遠となり、20代後半から「孤立」し始め、30代はずっと「孤独」な生活を過ごすことに。 「孤独」の痛さや、孤独の中で毎日働く「虚しさ」を10年以上経験する。 40歳で「前向きに」生きることを決意し、カウンセラーの資格を活かし、自分と同じような「孤独」と「仕事」に不安と悩み、虚しさを抱えた方々に、ナラティブ・アプローチ(『語り』を通じた問題解決)を用いて、寄り添う活動を行っている。

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