Columnまずは❝可哀想❞な自分を「癒す」ことが目的で「カウンセリング」を学び、「ナラティブ・アプローチ」を実践し続けたことが「カウンセラー」の活動を始めるきっかけに。

まずは❝可哀想❞な自分を「癒す」ことが目的で「カウンセリング」を学び、「ナラティブ・アプローチ」を実践し続けたことが「カウンセラー」の活動を始めるきっかけに。

私の「産業カウンセラー養成講座」受講の動機は❝可哀想な❞自分に「使ってあげたかった」から。

私の孤立と孤独の始まりは、自分「だけ」が「不幸」と思い込んでしまったことから。

私は20代半ばまではパートナーがおりましたが、就職活動の失敗から「自己分析」で思い描いていた社会人生活とは掛け離れてしまったことから、自分「だけ」が不幸で不遇な境遇に置かれていると思い込み、本当はパートナーの社会人としての挑戦や活躍を励まし合い、喜びを分かち合うべきところを、素直に受け止められず関係に軋みが生じ、別れの時を迎えることになってしまいました。

大学時代からのパートナーとの別れの後は、友人たちの「幸せ」な姿に嫉妬し、友人たちの「結婚」を妬みの対象にしてしまっている❝寂しい❞自分がいることに気がつきました。

大学卒業後の❝不甲斐ない❞社会人生活に自己肯定感は喪失し、
パートナーや友人たちの喜ばしい出来事や「幸せ」なエピソードを、素直な気持ちで受け止められず、
むしろ「私はこんなにも不幸せなのに」という歪んだフィルターを通すことで、
自己嫌悪の気持ちだけが無限に広がっていきました。

自分の人生「だけ」が不幸だと捉えていた私には、
パートナーや友人たちの些細な「喜び」や「幸せ」さえも妬ましく、
逆に、親しい人たちの「不幸」な話しに「安堵」してしまう、
本当に❝醜悪な❞自分になってしまっていました。

友人たちの「幸せ」を妬み、
友人たちの「不幸」に安堵する、
こんな❝寂しい❞人の周りには、誰だって近寄りたいとは思いません。
そして、私の周りからは親しい人はいなくなっていきました。
30歳になる頃には、誰からも、何も連絡がこない、
「孤立」した人になっておりました。

「いつからこんな嫌な人間になってしまっていたのでしょう」
このような問いに何度も、何度も苛まれました。

30代になり、かつての友人たちの多くは、結婚し、家族ができ、より緊密に「付き合う」グループも、子どもを中心とした繋がりや、家族や自宅を中心とした地域社会との繋がりに移っていきました。

30代となっても独身のままの私には、
家族や子どもを中心とした人間関係に加わることができず、学生時代までのかつての友人たち以外に、人との「繋がり」を作ることはできませんでした。

20代で学生時代までの友人たちが私の周りから去っていき、
30代になっても、「家族」や「子ども」という人間関係の「軸」を得ることができなかった私は、
職場以外の人との繋がりのほとんどを失っておりました。
本格的に孤立と孤独が進んでいきました。

30代は「何のために働くのか」も分からないまま、
ただ月曜日から金曜日まで、決められた時間、決められたルーティーンワークをこなす日々が続き、
休日は一人で住むアパートでずっとふさぎ込む生活が繰り返されていきました。

この頃は、どこかに出掛けよう、とか、何かしよう、という気持ちにはなれませんでした。
かといって「誰かから」お誘いの連絡はきません。

「どこで人生を間違えてしまったのでしょう」
このような問いにずっと苦しんでいました。

10年以上に及ぶ孤独な生活を経験した❝可哀想過ぎる❞自分を、自ら「変えてあげよう」と決意した40歳

孤独な生活を10年余り続け、40歳を機に、
「こんな寂しい人生では、自分が可哀想過ぎる」と心の底から突き動かされる悲痛な感情を受け止めて、
「直ぐには変われなくとも、とにかく前向きに生きてみよう」と決意しました。

30代までは、休日は一人寂しくアパートでうずくまっているだけの独身者でしたが、
40歳からは、独身だけど、一人の人生を謳歌している、と❝思われ❞たくて、
知的で、文化的な場所に意識的に出掛けるように❝努力❞しました。

10年以上「ひきこもり」に近い休日を過ごしてきた私には、
すっかり重くなった「気持ち」と「体」を動かすには、相当な❝努力❞が必要でした。
「変わろう」と思った瞬間から「直ぐに変われる」はずもなく、徐々に心と体を❝慣らして❞いくことから始めていきました。

「とにかく前向き」な気持ちでパソコンの画面を見ておりますと、
以前は全く視界に入らなかったモノも見えてきました。
ディスプレイの端に表示されておりました「産業カウンセラー養成講座」募集の案内です。

「カウンセラー」になりたいという気持ちではなく、「カウンセリングの技術を自分に使ってあげたい」という気持ちで受講を決めました。

ふと、何気なく気になりバナーをクリックしてみたところ、
「産業カウンセリングの基本は『人間尊重』です」、
「人間尊重」、このフレーズに惹かれていきました。

30代からずっと孤独な生活を続けてきました私には、
人として「尊重される」ことを心の奥では望んでいたのかもしれません。

また、「カウンセラー」はそのアプローチ方法の違いから、多くの種類がありますが、
「産業」の領域の「カウンセラー」であることも興味を惹きつけられるきっかけとなりました。

私は大学時代までは「普通」の人生を歩んできたと思っていたところ、
20代後半から徐々に親しい人たちと疎遠になりはじめ「孤立」していき、
30代はずっと一人アパートに引きこもる「孤独」な生活を送ることになったきっかけは、
「就職氷河期」に迎えた就職活動に失敗し、
「自己分析」で明らかにした「望む働き方・生き方」が、
❝もうこれからの人生では❞叶えられない、と思い込んだしまったこと、
と認識していました。

「働くこと」と「望む人生」が密接に関係していることを、漠然と意識しており、
「人生」における「働くこと」の意味を、いつか❝腑に落ちる❞までしっかり明らかにしたいと頭のどこかで考えていたのかもしれません。

だからこそ、数多く存在する「カウンセラー」の中で、
「産業」=「多彩な環境で働く人たちが抱える問題」に焦点をあてた、
「産業カウンセラー」に惹かれたのだと思います。

そして、私が「産業カウンセラー」を養成する講座の受講に向かわせたのは、
「私が」カウンセリングを施してあげたい、といった思いからではなく、
「カウンセリング」の知識を学び、
「自分の心の整理をしたい」ということからでした。

カウンセリングを施す知識や技術を学び、
自分の孤独感や無気力感の「原因」を整理して、
より「前向きに」生きるための支えの一つとしたい、と思ったのです。

「産業カウンセラー」として活動する、という気持ちは当初はまったくありませんでした。
とにかくカウンセリングの知識や技術を「自分のために使う」「使ってあげる」ことだけを考えて、
「産業カウンセラー養成講座」を10カ月間受講することにしました。

大学を卒業してからは初のしっかりとした研修の受講に高揚する自分がおりました。
「産業カウンセラー養成講座」はe-learningと「カウンセリング演習」が15日間と、10年ほど心と体の時間が止まっておりました私には、とても❝大変❞な研修でしたが、自分の「止まっていた時間」を冷静に整理することもできました。

「自分だけが不幸と思ってしまっていたのは、どうしてでしょう」

「本当は大事にしなければならなかった親しい人たちを、妬みの対象と見てしまっていたのは、どうしてでしょう」

「どうして親しい人たちが自分から離れていき、孤立し、孤独になってしまったのでしょう」

このような問いに対する自分なりの「答え」を10カ月間の研修中に、
カウンセリングの知識を学びながら、
冷静にじっくりと考えることができました。

「産業カウンセラー養成講座」では、
「産業カウンセラーの使命は、働く人の上質な職業人生(Quality of Working Life)の実現を支援し、産業社会の発展に寄与すること」、
そして、この使命を成し遂げるために、
「人を人として尊び、その人の話に真摯に心を傾ける―この姿勢と技術を身につけ、いまあなたが働き生活する場で生かすこと」を学びました。

「不幸な自分」を冷静に振り返る機会となりました「カウンセリング演習」

養成講座の「カウンセリング演習」では、
受講生が「カウンセラー役」と「クライエント役」の双方を15日間にわたって経験します。
そこで学ぶことの中心は「傾聴」でした。

ここで学んだ「傾聴」のポイントは、
「受容」と「共感」です。
「カウンセラー役」に求められたのは、「『話し手』の言うことを評価したり批判したりせず受け入れ、『話し手』の気持ちをあたかも自分の気持ちのように感じて話を聴いて」いくことでした。

私は「クライエント役」で自分のこれまでの孤独な人生を悩みとして語り、
「カウンセラー役」では、同じ受講生の悩みを「自分の気持ちのように感じて話を聴く」ことを経験しました。
この経験を通じて、これまで抱えてきた「孤独の源泉」を少しづつ探っていくことができました。
「孤独の源泉」を冷静に探ることは、10カ月という長い研修で、受講生同士でカウンセリングの演習を何度も行うような機会がなければ、一人では成しえなかったことだと思います。

10カ月間の「カウンセラー養成講座」を通じて、
20代で描いていた「理想」の人生と「現実」との決して埋めることの叶わない乖離を受け止めきれず、
「理想」に向かって努力しているパートナーや友人たちを妬んでしまったこと、
30代で親しかった人とはみな疎遠になってしまい、
「誰からも必要とされない」存在になっていたこと、
という過去から目をそらさずに、
40代の今、「自分に都合良く手を差し伸べてくれる人は現れない」事実を踏まえて、
一度きりの私の人生に「意味」を与えてあげるためにも、
とにかく「前向き」に生きる決意をさらに固めることができました。

10カ月の養成講座を終える頃には、
カウンセリングの知識や技術を「自分のために使う」、という目的の多くは達せられていました。

養成講座を受講する「目的」は達せられましたので、
「産業カウンセラー」の資格そのものは「おまけ」程度に考えておりましたが、
学科試験と実技試験を経て、
私は「産業カウンセラー」の資格を得ることができました。

10カ月の講座受講と試験を経て「産業カウンセラー」の資格を取得したものの、
資格取得時点では、カウンセラーとして活動したい、といった大それた希望は抱いておりませんでした。

私が【孤独】と【仕事】の悩み相談を始めるきっかけは、
「産業カウンセラー」の資格取得から少し先の出来事になります。

「ナラティブ・アプローチ(『語り』を通じた問題解決)」との出会いは「必然」だったと。

「カウンセラー」の資格取得後は、しばらく「カウンセリング」の勉強を離れ、
歴史や文化・芸術の知識を得るために時間を使っておりましたところ、
ふと、カウンセリングの雑誌のタイトルの中に「ナラティブ・アプローチ(『語り』を通じた問題解決)」を見つけました。

「カウンセラー養成講座」で学んだ最も大切な事柄は、
クライエント(話し手)が語ることを、
カウンセラー(聴き手)が「受容」と「共感」の気持ちで「傾聴」することでした。

カウンセラーがクライエントが語ることを「傾聴」することで、
クライエントは、自分の抱えている悩みや不安を整理できるようになり、
悩みや不安の解決へと向かうことが期待されます。
私も10カ月間の学びを通じて、過去の自分の振り返り、孤立に至ってしまった「原因」を冷静に「整理」することができました。

私の悩みや不安は「整理」できたと思っていましたが、
ふと「ナラティブ・アプローチ(『語り』を通じた問題解決)」のタイトルに目が留まり、
記事を読み始めたことは「偶然」ではなかったと思います。

私は10カ月間の「カウンセラー養成講座」受講中、ずっと自分の心と「対話」し続けましたが、
学びの期間が終わってからは、自分と向き合う時間と機会を逸してしまい、
「新たな」自分との向き合い方を模索していたのでしょう。

「新たな」自分との向き合う術として❝必然的❞に目に留まったのが、
カウンセリング技法の一つ「ナラティブ・アプローチ(『語り』を通じた問題解決)」でした。

「ナラティブ」=できごとをつなぐことによって「意味づける」行為

「ナラティブ・アプローチ」は、
1990年代後半にトリシャ・グリーンハル教授を中心としたグループによって「ナラティブ・ベイスメント・メディスン」として提唱されたことが始まりとされています。
日本においては、2000年代に医療現場で用いられたことをきっかけとして、臨床心理やソーシャルワーク、キャリアコンサルティングなどへも応用され、広まっていきました。

「ナラティブ」とは、「物語」、「語り」と訳されますが、
定義としては「できごとについての言語記述を、何らかの意味ある連関によってつなぎあわせたもの、あるいはことばをつなぐことによって『意味づける』行為」とされています。

「ナラティブ・アプローチ」における「物語」は、
クライエント(話し手)が語るできごとを繋ぎ合わせて「意味づける」ことで、つくられます。
そのつくられた「物語」には、クライエント(話し手)の「経験を意味づける」働きがあるとされています。

私がとくに「ナラティブ・アプローチ」に惹かれたのは、
クライエント(話し手)の意味づけられた「物語」は、「変化」していく、と考えられている点です。

今、この時に、語った「物語」は、明日の生活によって、捉え方が変わっていくもので(変わることもある)、
唯一正しい「物語」は存在せず、
クライエント(話し手)が刻々と変わる世界の中で、過去と現状を捉え直し、考えられる選択肢の中から進むべき道を定めていく。
つまり、過去の認識に含めて捉え方が変わるのは当然であり、機会あるごとに意味づけられた「物語」を変えていきながら、その時々で最善の道を探る、というアプローチ方法に惹かれていきました。

「書く」ことでも「ナラティブ」=「物語」を紡ぐことはできる。

そして、この「ナラティブ」、「物語」は、
クライエントが「語り」、カウンセラーが「傾聴する」だけではなく、
クライエントが「書き」、カウンセラーが「読み解く」ことでも紡ぐことができるといいます。

このことは、自分と向き合う時間を必要としていた私にとっては、
悩みを抱えるクライエントでもある私が、
自分の過去を振り返り、過去の行い、感情をどのように捉え直し、
これからの人生を歩んでいくべきか、を考えるために、
自分の人生を振り返り「書く」、
ということに取り組むきっかけを与えてくれました。

カウンセリング場面でも用いられるようになりました「ナラティブ・アプローチ」は、
クライエントが語ることがらを繋ぎ合わせて「意味づける」ことで「物語」をつくります。
クライエントが語る「物語」は、クライエント自身が日々の経験の中で「変わって」いくこともあります。
「物語」が変わるということは、クライエントがそれまでの捉え方から変わった、ということでもあり、
このことは、クライエントにとっての過去の経験は、何度でも捉え直しができ、
数ある選択肢の中で、今とこれから進むべき方向を「変える」ことができる、ということを示しています。

私は、私を孤独に至らせた過去の経験=「過ち」と向き合うことができませんでした。
心を埋め尽くしていたのは、
「今の私は孤独で寂しい生活を続けなければならず、苦しい」という現在の苦しさだけでした。

現在の苦しさだけの埋め尽くされた心では、
この苦しい状況を「変える」道筋は考えられず、ただただ一人でふさぎ込む日々が続きました。

「産業カウンセラー」に出会い、「傾聴」を通じて、自分の過去を向き合い、これまでの人生のできごとを「整理」して、その上で、「前向きに」生きることを決めました。

そして、「カウンセラー」の資格を取得した数カ月後、
「ナラティブ・アプローチ(『語り』を通じた問題解決)」に出会い、
人の過去のできごとに対する捉え方は、日々の経験によって「変わり」、
捉え方を「変える」ことで、これから進むべき方向を、何度でも選択することができる、
という考え方に惹かれていきました。

「ナラティブ・アプローチ」では、
悩みを抱える人が「書く」ことでも、できごとを「意味づける」ことができることを知り、
私は、私自身とより「前向き」に向き合うため、
そして「前向き」生きる方向を、新しい経験を積むごとに「変えて」いくため、
自分の過去のできごとや思いを「書く」ことに決めました。

はじめは「ナラティブ・アプローチ」の「実践」の場としてこのサイトをはじめることに。

私自身が悩みを抱えるクライエントではありますが、
一方で「カウンセラー」としての「実践」として、
自らの過去を「書く」ことで何度も振り返り、
書かれた「物語」を俯瞰しながら、「捉え方」が変わっていくことを自分で確認しながら、
「理想」とする生き方に近づく選択肢を探ることを、始めてみることにしました。

このコラムサイトは、
私自身のための「ナラティブ・アプローチ(『語り』を通じた問題解決)」の「実践」として取り組み始めたことが、はじまりでした。

そして、自分のために始めたコラムサイトでしたが、
このコラムサイトを見て頂いた私と同じく孤独に苛まれている方からメールを頂戴したことで、私が「カウンセラー」としての活動を「選択」することに繋がっていきました。


【文中の参考・引用文献】
・「産業カウンセラー養成講座」一般社団法人日本産業カウンセラー協会

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プロフィール

学生時代に想い描いていた人生は、自分の社会的な存在価値を表してくれるような❝しっかりとした❞会社に就職して、20代で結婚し、30代で家族に恵まれ、子育てや家庭生活と仕事を両立させる、そのような「理想的」な生活。 しかしながら、現実は、「理想」とは程遠く、新卒者として臨んだ就職活動に❝失敗❞し、非正規社員として社会人をスタートし、学生時代からのパートナーと別れ、友人たちとも疎遠となり、20代後半から「孤立」し始め、30代はずっと「孤独」な生活を過ごすことに。 「孤独」の痛さや、孤独の中で毎日働く「虚しさ」を10年以上経験する。 40歳で「前向きに」生きることを決意し、カウンセラーの資格を活かし、自分と同じような「孤独」と「仕事」に不安と悩み、虚しさを抱えた方々に、ナラティブ・アプローチ(『語り』を通じた問題解決)を用いて、寄り添う活動を行っている。

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