Column理想的なwork20代半ばのパートナーとのお別れ、その原因となった❝酷い❞私の心の底にあったもの。~取り柄のなかった私は「仕事」を通じて「アイデンティティ」を得たいと願っておりました。

20代半ばのパートナーとのお別れ、その原因となった❝酷い❞私の心の底にあったもの。~取り柄のなかった私は「仕事」を通じて「アイデンティティ」を得たいと願っておりました。

自分を表現する「言葉」を「仕事」に求めていたこと、今だからこそ語れること。

私の人生の分水嶺、大学進学と就職活動

私は40代の独身です。
40代のいまでも独身の私ですが、かつては学生時代からのパートナーがおりました。
もし当時のパートナーとそのままお付き合いが続いておりましたら、結婚していた可能性もあったかもしれません。

当時のパートナーとは20代半ばに、基本的に私の方に原因があり、お別れをしてしまいました。
その「原因」とは、私の就職活動の失敗、とその後の「仕事」に深く関係しています。

40代の今だから20代の頃の私に伝えたいことを少し綴ってみたいと思います。

私は1970年代の後半に生まれ、高校生の頃に空前の好景気に沸きました「バブル経済」が終わり、その後の急速な景気後退と不況期を肌で感じました。

(今でもあまり変わっておりませんが…)高校生の頃は、これといって得意なことも、大好きなことも、熱中できることも無かった私は、就職か、進学か、で気持ちが揺れておりました。

最終的には、大学への進学を選んだ私ですが、進学を選んだ大きな理由が、
この不況下での就職の回避でした。

私の高校時代は連日のように、空前の好景気から一転して不況期となり、企業は不採算部門の再構築を行うため、「事業再構築」=リストラクチャリングの一環として、大規模な「人員整理」(≒解雇)を推し進めている報道が流れておりました。

高校時代の私の心は冷え込み、
「今は❝大人❞も会社から解雇される状況なのに、私のような人材が会社に採用されるはずがない。
❝今❞は就職するには経済状況が悪すぎるので、一旦大学に進学して、4年後の経済情勢が落ち着いた頃に就職活動を行い、社会人となろう」と進学に気持ちを向かわせたのです。

1990年代後半、高校3年生で迎えた「不況期」での就職活動を回避し、進学を選んだ私ですが、
大学進学を選んだ理由が、就職活動の回避でしたので、
大学で「学びたいこと」はなかったことから、
偏差値ランキング表を見て「入れる大学」を選びました。

そして、大学進学を機に親元=実家を離れる決断もここで行いました。

大学入試は、自分の学力で「入れる大学」を選んだことから、それほど苦労することなく「合格」を得ることができ、「普通」の文科系学部に進学することになりました。

大学進学から3年後の2000年代前半、私は大学3年生となり、もう就職活動を回避することができなくなった時代の就職環境は、まだまだ「悪かった」です。
後に「就職氷河期」と呼ばれることになります新卒者にとって厳しい就職環境は、1990年代半ばから2000年代半ば頃までと考えられております。

私がもう就職活動を回避することができなくなった2000年代前半は、就職氷河期真っ只中ということもあり、私は内定を1社からも得られることなく、卒業の時を迎えようとしておりました。
そこで已むなく、人材派遣会社に登録をして、4月から「派遣社員」として働くことになったのでした。
(詳しくはここに書かせて頂きました。「約20年前の就職活動に失敗し新卒派遣社員になったことも、『良い経験だった』と思えるように『理想の働き方』を探し続けます。」)

私が「自己分析」で明らかにしました「仕事」への想い

新卒者で派遣社員となりました私に与えられました仕事は、データ入力のルーティーンワークでした。
私の派遣契約は6カ月間でしたので、基本的には6カ月後の雇用契約は確約されておりません。
(契約更新がなければ)6カ月間で雇用契約が終わる派遣社員の私には、
すぐに覚えられ、すぐに戦力となる程度の「簡単」な仕事しか期待されておりませんでした。

大学で就職活動を前に行いました「自己分析」によって、
「不況期という暗鬱とした時代にあっても
 クリエイティブな広告を社会に発信することで、少しでも社会を明るくしたい」
といった「やりたいこと」「やりたい仕事」を明確化させておりました私にとって、
❝誰でも❞が簡単に覚えられ、すぐにルーティーンワークとなるような「仕事」を与えられたことは、
とっても不本意でしたし、とても悔しかったです。

「なんで自分ばかりこのような『不遇』な状況に置かれなければならないのでしょう」

同期が多くが正社員として働き出している一方で、
自分は非正規社員で、簡単なルーティーンワークのみを期待されている境遇を、
ずっと嘆いていました。

パートナーが電話で話す、
「今日はこのようなことを教わった」、
「明日は先輩の同行で〇〇へ出張」、
「今週末まで報告書の提出を任されて大変だ」、
「半年後に資格試験を受けることになった」
といった❝前向き❞な仕事の話題に対して、
自分が置かれている「不本意」な状況が邪魔をして、
❝前向き❞な話しを励ますでも、喜ぶでもなく、
妬んでしまったのです。

「私は不本意で辛い境遇なのに、
 アナタは前向きで希望に満ちた状況なのですね。
 私は望まない現実が明日も続くのに…。」

今振り返れば、なんて愚かで、醜い心でパートナーに接してしまったのかと、
恥ずかしい気持ちと、パートナーへ償いたい気持ちで一杯です。

自分の人生が期待通りに行っていないことフラストレーションを、
あろうことか、大事にすべき人にぶつけてしまっておりました。
このような私の理不尽な態度にパートナーも耐え切れず、
社会人になり数年で、お別れを迎えてしまいました。

自分を表現する言葉=アイデンティティ(自己同一性)を求める気持ち

私は社会人になってからずっと、
思い描いておりました「社会人像」と、
現実の派遣社員としての「私」との、
乖離に悩まされてきました。

思い描いておりました「社会人」は、
多少苦しくとも、同じ目標をともにする❝仲間❞とともに、
懸命に努力し、真摯に仕事と向き合い、
一つの目標をクリアできたところで❝仲間❞たちと喜びを共有し合う、
そして、次はより難しくも意義ある目標達成に向けて動き出す、
そのような「前向き」な「働き方」をしている社会人像を描いておりました。

私は大学進学を機に生まれ育った地元を離れ、
40代となった今も住んでおりますアパートに移り住んできました。
私の周りには、私のことを子供の頃から知っている方はおりません。
アパートという地域社会とは隔たりのある場所で生活をしているため、
私には「地縁」と呼ばれる人間関係がありません。

私は一人暮らしを始めました「地縁」が存在しないこの地域で、
アイデンティティ(自己同一性)を見出すことを求められておりましたが、
私は、
私のアイデンティティは「仕事」を通じて見出したかったのだと思います。

「自分とは〇〇〇のような人間です」
といった「自己同一性」=アイデンティティは、
長い人生の中では、
時にふらふらと揺らぐことがあっても、
それでも自信を持って前に進んでいくためには、必要なものだと思います。

「自分は〇〇〇のような人」❝なので❞、
「将来大手企業の中核となるような人たちとのコミュニティに属したい」とか、
「環境問題を考えるコミュニティに参加したい」とか、
「地域のボランティア活動に加わりたい」といった、
自分が認識している「同一性」=アイデンティティに基づいた考え方や行動ができてくるのだと思うのです。

私は社会人になった後は、
「仕事」を通じた自分のアイデンティティ(自己同一性)を見出したかったのだと思います。
そして、大学時代に取り組みました「自己分析」の時点での、
私が社会人になった後に求めていたアイデンティティは、

「多くの仲間たちと、
 意義ある仕事・目標に向かって懸命に働いて、
 達成感と喜びを分かち合える人」
だったのです。

できれば、「自己分析」で見出しました、
「不況期という暗鬱とした時代にあっても
 クリエイティブな広告を社会に発信することで、少しでも社会を明るくしたい」、
といった「やりたいこと」を仕事にできれば良かったのですが、
たとえ広告業ではなくとも、
「多くの仲間たちと、意義ある仕事・目標に向かって懸命に働いて、達成感と喜びを分かち合う」ような職場や仕事に巡り合いたかったのです。

「〇〇だったなら」「〇〇であれば」、
ということをいくら願っても、今という現実は変えられませんが、もし私が就職活動に失敗して非正規社員として社会人をスタートしていなければ、毎日変わることのないルーティーンワークに「憧れていた社会人像」を砕かれることはなかったかもしません。

「仕事」に期待していた私を表現する「言葉」、それが得られないと悟った時の深い落胆

学生時代まであまり取り柄のなかった私が、
社会人になって、獲得したいと願っておりました「私とは〇〇〇のような人」、
言い換えますと、
社会になって、獲得したいと願っておりました「アイデンティティ(自己同一性)」、
は「多くの仲間たちと、懸命に働いて、達成感と喜びを分かち合える人」でしたが、
派遣社員の私に与えられましたルーティーンワークをいくらこなしても、
私が望む「アイデンティティ」は得られないことを悟り酷く落胆しました。

学力も普通、
スポーツや運動も得意な方ではなく、
熱中できる趣味もなく、
地域で活躍している訳でもなく、
自分を表現する「言葉」を持っておりませんでした私は、
きっと「仕事」に、
自分という存在を明らかにする「アイデンティティ」の源泉の役割を期待していたのです。

「仕事」を通じて、
「多くの仲間と、達成感と喜びを分かち合える人」という、
自分を表現する「言葉」(=アイデンティティ)を得たかったのです。

20代半ば、パートナーかた愛想を尽かされる程、❝嫌な❞私になっていた頃は、
なぜ就職活動の失敗がここまで私を落ち込ませ、ふさぎ込ませているのかの認識と説明は、なかなか難しいものがありました。

かつての友人からは、
「仕事なんて適当にこなしていればいいじゃない。
 もっと仕事以外の私生活を楽しめばいいと思うよ」
と声を掛けてもらうこともありました。

ですが、20代の頃の私が「仕事」に期待していたことは、
「(仕事を)適当にこなしている私」ということを表現するためのものではなかったようです。

自分を表現する、語る「言葉」に乏しかった私は、
「仕事」に、自分を表現できる「言葉」=アイデンティティを期待していたのです。
だからこそ、その期待が叶えられないと悟ってしまったことで、失望も大きく、
大事にすべき人たちをも嫉妬の対象と見てしまうような愚かな感情に支配されてしまったのかもしれません。

いくら悔やんでももう時間は戻せません。

「意義深く愉しい人生を歩んでいる人」、これからアイデンティティの獲得を目指して

40代となった今だからこそ、
就職活動に失敗し、望まない派遣社員として社会人をスタートすることになり、
自暴自棄になり、
パートナーを傷つけ、友人たちとも疎遠となるような愚かな振る舞いをしてしまった、
私の心の底にあった感情を整理することができるようになりました。

40代、アパートで一人暮らしの寂しい独身者、
これが現在の私を表現する言葉=アイデンティティです。

これから私が望む、自分を表現する言葉=アイデンティティは、
「40代で、独身で、アパートに一人暮らしでも、
 意義深く愉しい人生を歩んでいる人」です。

「意義深く愉しい人生を歩んでいる」という言葉は、
自ら考え、動き、心から人生を愉しむことでしか得られないものです。

人生はこれからです。

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プロフィール

学生時代に想い描いていた人生は、自分の社会的な存在価値を表してくれるような❝しっかりとした❞会社に就職して、20代で結婚し、30代で家族に恵まれ、子育てや家庭生活と仕事を両立させる、そのような「理想的」な生活。 しかしながら、現実は、「理想」とは程遠く、新卒者として臨んだ就職活動に❝失敗❞し、非正規社員として社会人をスタートし、学生時代からのパートナーと別れ、友人たちとも疎遠となり、20代後半から「孤立」し始め、30代はずっと「孤独」な生活を過ごすことに。 「孤独」の痛さや、孤独の中で毎日働く「虚しさ」を10年以上経験する。 40歳で「前向きに」生きることを決意し、カウンセラーの資格を活かし、自分と同じような「孤独」と「仕事」に不安と悩み、虚しさを抱えた方々に、ナラティブ・アプローチ(『語り』を通じた問題解決)を用いて、寄り添う活動を行っている。

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