Column理想的なlife私の「意義ある人生」について~誰からも「必要とされない」ことはとても悲しいこと、だからこそ「誰かの役に立ちたい」と思うのです。ボランティアへの関心。

私の「意義ある人生」について~誰からも「必要とされない」ことはとても悲しいこと、だからこそ「誰かの役に立ちたい」と思うのです。ボランティアへの関心。

独身の私が孤立と孤独を経て辿り着きました素直な「誰かの役に立ちたい」の気持ち。

私が思い描いていた「普通」の人生設計

大学進学を機に親元を離れ一人アパート暮らしを始めてから、早20年以上が過ぎ去りました。
大学進学と同時に親元を離れた時は、確かに「もう実家で親と一緒に暮らすことはないかもしれない」とは思いました。

「もう実家で親と一緒に暮らすことはない」と思ったのは、
大学に入学する前から、大学を卒業する4年後は、地元に帰って就職するのではなく、大学周辺の地域で就職しようと思っておりましたことと、
大学を卒業し、就職して、何年か働きましたら、結婚して、家庭をもち、家族が増えて、家を建てて、「普通」の生活を送ることを想像していたからです。

実際は、大学を卒業して、実家に戻ることなく、大学周辺の地域で「働き出した」ことまでは、想像しておりました通りでした。

ですが、就職に関してましては、就職活動前は❝当然に❞正社員として就職するものだと思っておりましたが、現実は非正規社員の派遣社員として、働き出すこととなりました。

結婚に関しましては、20代半ばで大学時代からのパートナーとお別れしてからは、これといった❝出会い❞もないままに30代を迎え、
30代はただ無気力に、月曜日から金曜日まで決まった時間に家を出て、決まったルーティーンワーク淡々をこなし、決まって時間にアパートに戻ってくる生活を送り、土曜日と日曜日はアパートで一人寂しく過ごす日々でした。

本当は「普通」の30代は、結婚して、家庭をもち、家族がふえ、子育てを中心に忙しく、それでも楽しい時間を過ごすのでしょう。

私は就職活動の失敗を一つのきっかけとして、
パートナーを失ったり、
学生時代までの友人たちと疎遠となることで、
孤立していきました。

一般的な「人間関係」の類型と私の場合

ここで一般的な「人間関係」を考えてみますと、
①両親や兄弟・姉妹、
②幼なじみや友人、
③配偶者や配偶者との子ども、
④子を中心とした繋がり、
⑤職場の上司・同僚、
⑥地域の方々、
⑦共通の趣味をもった方々、
といった繋がりがイメージできるかと思います。

私は、
①両親とは大学を卒業を機に実家を離れてからは、年に1度も会わないほど、互いに❝親離れ・子離れ❞が済んだ関係となり、日常生活の支えになる存在ではなくなりました。
兄弟・姉妹はおりません。

②幼なじみや友人とは、私の身勝手な嫉妬心から、友だちの幸せすら一緒に素直に喜んであげられない自分が嫌になり、私の方から友だちから距離を置いたことで、疎遠になってしまいました。
(詳しくはここに書かせて頂きました。「『独身おじさん友だちいない問題』、私は友だちの『幸せ』を素直に喜んであげられなかったことで『友だちがいなく』なりました。)

③配偶者や配偶者との子どもは、大学時代からのパートナーと20代半ばでお別れしてから、「ご縁」に巡り合うこともなく、40代のなった現在でも独身です。
多くの人が最も多くの時間をともに過ごす配偶者や子どもとの時間は私にはありません。

④結婚をしたことがありませんので、子どもおりません。
子どもを中心とした人間関係にも参加することはできません。

⑤職場の上司・同僚との関係は、私は派遣社員として派遣先企業に派遣されていた人材でしたので、職場には同じ派遣社員の方はおりましたが、短期間で人が入れ替わるために、職場の人間関係はとても希薄なものです。
同じ時間に、同じ空間をともにする人々という感覚です。

⑥地域の方々とは、アパートで一人暮らしの私には接する機会もなければ、接する理由もほとんどありません。
ご近所付き合いも一切ありません。
近くに頼れる人もおりません。

⑦共通の趣味をもった方々と関係性を築きたくとも、無趣味の私にはどのような❝輪❞に入ればよいかそこから悩んでしまいます。
私には一人も共通の趣味で繋がっている人はおりません。

このように私は、「一般的」な人間関係の❝スキマ❞に落ちてしまっており、
アパートの一室で孤立してしまったようです。

長期間の孤立と孤独の中で見えてきました私の「人生の意義」

孤立し、孤独な独身40代の私ですが、
これからの人生の時間は、意義深いものにしていきたいと考えています。

これまでずっと孤立し、長い間一人寂しい時間を過ごし、気づいたことがあります。

誰からも必要とされないことは、人生の意義の一つを失ってしまっている状況ではないでしょうか。

そして、もし誰かの役に立つことができたなら、それは人生の意義の一つを見つけたことになるのではないでしょうか。

30代の頃、ほとんどすべての人との繋がりが途絶え、
一人アパートの片隅で、孤独と寂しさに圧し潰されながら、
私の人生に意味などはあるのでしょうか、と何度も、何度も問い続けました。

月曜日から金曜日までは、人間関係がとても希薄な「職場」という空間で、ひたすら決められた仕事をこなす日々が続き、
土曜日と日曜日は、誰からも必要とされず、アパートの一室でうずくまっている内に時間は過ぎ去り、
また月曜日がやってきてしまう、そんな30代でした。

「誰からも必要とされないで、ただ生きていることは、本当に悲しいこと」

「誰からも必要とされない」ことは、
裏返せば、私が「誰の役にも立とうとしていなかったから」では…。

「誰かの役に立つことができたなら」、
私の心に大きく開いてしまった「私の人生の意義」が少しは見えてくるような気がしています。

気になる調査結果、日本は「ボランティア活動」に興味がない若者が多いようです。

何か誰かの役に立てること、と考えていましたところ、
少し気になる調査結果が見つかりました。
「ボランティア活動に対する興味」についての意識調査です。

私は孤独で寂しい独りの時間を10年程過ごす中で、
「誰からも必要とされないこと」の辛さや虚しさを身をもって経験しました。

そして、本当に長い時間、孤立し寂しい気持ちで満たされ続けた結果、
私が「誰の役にも立とうとしていなかった」ことが、
今の自分の境遇を招いてしまったことに気がつきました。

これからの人生は、もしワ私でできることがあれば、
「誰かの役に立ちたい」と素直に思えるようになりました。

私の場合はこのような思いに至ったのですが、
広く日本の「ボランティア活動に対する興味」を調査したところ、
日本の(とくに若者の)「ボランティア活動に対する興味」は、
諸外国に比べて、低いようなのです。

「ボランティア活動に対する興味」が「ある」と答えた若者は、
日本は33.3%でして、
韓国52.6%、アメリカ65.4%、イギリス52.7%、フランス51.7%、スウェーデン45.8%と、
調査対象国の中で最も興味が「ある」割合が低かったようです。

当然ですが「ボランティア活動に対する興味」が「ない」の割合は、
日本が48.1%と最も高く、
韓国28.8%、アメリカ23.5%、イギリス31.8%、フランス30.7%、スウェーデン27.3%と、
調査対象国の中では突出して「ボランティア活動に対する興味」がなかった国が日本であることが分かりました。

私は本当に長期間にわたる孤立と孤独の時間を経て、
「誰からも必要とされない」ことの虚しさを知り尽くし、
自分の人生に意義を与えるということは、
「誰かの役に立つこと」ではないか、に辿り着きました。

諸外国と比べて、「誰かの役に立つこと」、その一つであります「ボランティア活動」に興味がない若者が多いことは、どのように捉えれば良いのでしょうか。

私の実感として、
孤立と孤独の中では、人生の意義はなかなか見出し難いものです。

独身の私だから「誰かの役に立ちたい」と思っている今だからこそ、
「ボランティア活動」に興味があるだけなのでしょうか。

この点はまた今度考えてみたいと思います。


【文中の参考・引用文献】
・「令和元年版 子供・若者白書(全体版)」内閣府(2019)

Author's Profile

プロフィール

学生時代に想い描いていた人生は、自分の社会的な存在価値を表してくれるような❝しっかりとした❞会社に就職して、20代で結婚し、30代で家族に恵まれ、子育てや家庭生活と仕事を両立させる、そのような「理想的」な生活。 しかしながら、現実は、「理想」とは程遠く、新卒者として臨んだ就職活動に❝失敗❞し、非正規社員として社会人をスタートし、学生時代からのパートナーと別れ、友人たちとも疎遠となり、20代後半から「孤立」し始め、30代はずっと「孤独」な生活を過ごすことに。 「孤独」の痛さや、孤独の中で毎日働く「虚しさ」を10年以上経験する。 40歳で「前向きに」生きることを決意し、カウンセラーの資格を活かし、自分と同じような「孤独」と「仕事」に不安と悩み、虚しさを抱えた方々に、ナラティブ・アプローチ(『語り』を通じた問題解決)を用いて、寄り添う活動を行っている。

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