Column理想的なlife「独身おじさん友だちいない問題」、私は友だちの「幸せ」を素直に喜んであげられなかったことで「友だちがいなく」なりました。

「独身おじさん友だちいない問題」、私は友だちの「幸せ」を素直に喜んであげられなかったことで「友だちがいなく」なりました。

友だちの「幸せ」なできごとも、私の「不幸せ」な現実の前には、妬みの対象になってしまっていました。

「独身友だちがいない問題」の記事を見て、ふと

最近インターネット上で「独身おじさん友だちいない」が盛り上がっているようです。
内容的には、40代で、独身の「おじさん」には、会社以外の知り合いしかおらず、孤独に苛まれている、といったもののようです。

40代で、独身で、友だちがいない。
これは私にも当てはまります。
さらに私の場合は、会社を通じた知り合いもほとんどいません。

「独身おじさん友だちいない」に登場される方々は、
40代までにかつての友だちは、結婚し、家庭を持つにつれて、
独身の自分とだんだんと疎遠になっていき、
30代、40代から新しい友だちはできず、
孤立してしまった、という経緯がおありのようです。

私の場合も、おおむね「独身おじさん友だちいない」に登場される方々と同じような経緯で、孤立していきました。

ただ私が40代で、独身で、友だちがいない状況は、
友だちが結婚し、家庭を持つにつれて、独身の私と「自然体」でだんだんと疎遠になっていったのではなく、私の方から友だちを避けてしまったことによります。

独身、40代で友だちがいない、私の友だちがいなくなってしまった原因

私は2000年代前半に新卒者として迎えた就職活動に失敗し、
入社式もなく、同期もいない、非正規社員の派遣社員として、社会人をスタートさせました。

私の友だちの多くは就職氷河期真っ只中の就職活動に大変苦労しながらも、何とか内定を獲得し、卒業して、4月からは正社員として社会人をスタートさせておりました。

まずはじめに友だちのことを羨ましい存在として見るようになってしまったのが、私が就職活動を失敗したのに対して、友だちが正社員として「普通」に働き出したことからでした。

学生時代は、同じ目線で何でも話せていた友だちも、
社会人になってからは、何となく、
私からは不本意な派遣社員としての働き方のことを話さなくなり、
友だちとしても、私が不本意ながら働いていることを知っているからこそ、
自分の仕事についても私に話すことを避けるようになっていきました。

友だちとしては、学生から社会人となり、
これまでと全く違う世界で、苦労していることや、愚痴りたいことなどなど、仕事にまつわる話したいことが沢山あったのだと思います。

不本意ながら派遣社員として働いている私には、友だちの仕事にまつわる話を聞いてあげられる余裕が全くありませんでした。
いつも「自分ばかりなんでこんな境遇なんでしょう」と悔やんでばかりおりました。

自分の置かれた境遇を悔やんでばかりいた私の周りからは、
どんな境遇に置かれても一生懸命に頑張る友だちが、いなくなっていきました。

就職氷河期のさなか、本当は心に決めた業界や会社からは内定をもらえず、已むなく第3、第4希望の会社に就職することになり、「不本意」就職であっても、会社に入社した以上は、「そこで頑張る」という前向きな友だちは、ずっと下ばかり向いて、自分からは何も状況を変えようとしない私と話をしたり、会ったりしても「楽しくない」と思われたのでしょう。

私としても、「頑張っている」友だちの話しを聞くことは辛かったです。
友だちが「頑張っている」話をしていても、「頑張れない」私は、疎ましくさえ思ってしまっていました。
そんな「疎ましく」思う気持ちというのは、直ぐに相手に伝わってしまうもので、短期間で「頑張っている」友だちからの連絡はなくなっていきました。

そして、20代半ばになりますと、徐々に結婚する友だちも出始めてきました。
20代後半には結婚する友だちのピークを迎え、30代になる頃にはほとんどの友だちが、結婚し、家庭を持つようになっていきました。

私は社会人1年目として「頑張って」いた学生時代からのパートナーの話しも聞いてあげることもできなくなり、20代半ばに別れの時を迎えてからは、新しいパートナーに出会うことはなく、40代で独身の現在に至っております。

「独身おじさん友だちいない」のエピソードでは、結婚し、家庭を持ち、家族が増えていった友だちと疎遠になっていく姿が描かれておりましたが、私の場合は「自然体」で疎遠になっていった、というよりは私の方から疎遠になるように、友だちを避けるようになっていきました。

私「だけ」が不幸せと思い込み、幸せな友だちをつよく羨むように

私は、自分だけが「不幸」と思えて、
友だちの「幸せ」さえも嫉妬の対象になってしまっていました。

「なぜ私だけが不幸で、
 友だちは幸せなのだろう。

 学生時代は同じ目線で何でも話せたのに、
 今は友だちの話しが羨ましく、
 そして、妬ましい…」

このようなとても悲しい感情が芽生えてからは、
私の方から、友だちと話すこと、会うことを止めてしまいました。

私の仕事、私生活が思い描いていた通りにならず、
自分の境遇を惨めで、不幸と思い込み、
本当は大事にすべきだった友だちをも妬みの対象と見てしまい、
友だちの「幸せ」に触れることで、
自分が(思い込んでしまっている)「不幸せ」がより鮮明となり、
その場では「つくり笑顔」ができても、
一人のアパートに戻り、泣いてしまう日々、
むりをして友だちを続けることは、難しくなっていきました。

私と「独身おじさん友だちいない」方々との違いは、
徐々に友だちがいなくなったのではなく、
友だちの「幸せ」な出来事が次々に起きることに、
私が(勝手に)耐えられなく、
私の方から友だちのもとから去っていった、
ということが言えます。

独身40代孤独な私がもし20代に戻れるなら…

もし20代に戻れるなら、
他人=友だちをどんなに妬んでも、自分の生活が変わることはありません。
他人=友だちをどんなに嫉んでも、自分の心が満たされることはありません。

自分の境遇が嫌だと思うなら、
嫌だと思うことを変えるためには、
自ら動いてみないことには何も変わらず、
ただただ時間だけが過ぎ去ってしまいます。

もう誰か=友だちの幸せを羨み、心の底で妬むのはやめて、
「動き出そう」。

そして「友だちやパートナーを大事にしよう」。
もう自分に都合よく友だちやパートナーは現れませんので。

と自分に言ってあげたいです。

「独身おじさん友だちいない」の記事を見て、
40代、独身で孤独になってしまう現実は同じでも、
孤独になってしまった理由は、さまざまなのですね、
と思った1日でした。

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プロフィール

学生時代に想い描いていた人生は、自分の社会的な存在価値を表してくれるような❝しっかりとした❞会社に就職して、20代で結婚し、30代で家族に恵まれ、子育てや家庭生活と仕事を両立させる、そのような「理想的」な生活。 しかしながら、現実は、「理想」とは程遠く、新卒者として臨んだ就職活動に❝失敗❞し、非正規社員として社会人をスタートし、学生時代からのパートナーと別れ、友人たちとも疎遠となり、20代後半から「孤立」し始め、30代はずっと「孤独」な生活を過ごすことに。 「孤独」の痛さや、孤独の中で毎日働く「虚しさ」を10年以上経験する。 40歳で「前向きに」生きることを決意し、カウンセラーの資格を活かし、自分と同じような「孤独」と「仕事」に不安と悩み、虚しさを抱えた方々に、ナラティブ・アプローチ(『語り』を通じた問題解決)を用いて、寄り添う活動を行っている。

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