Column理想的なlife独身40代の「孤独」の源泉~私の孤独はどこからやってきたのでしょう。

独身40代の「孤独」の源泉~私の孤独はどこからやってきたのでしょう。

誰かの役立つ、活動に参加するにはちょっとした「共通項」が必要になるようです。

誰からも、何も期待されない孤独で寂しい生活と、やらなければならないことに日々追われる生活と

40代で、独身で、アパートに一人暮らしで、「限定社員」な私は「時間に余裕」があります。
というよりも、むしろ「あり余る」時間をどのように使って良いかと悩みます。

朝6時に起きて、7時にアパートを出て、外で朝食を済ませ、8時30分から仕事を始めます。
夕方18時には会社を出て、19時にはアパートに戻ってきます。
23時には就寝するようにしておりますので、仕事から帰って来てから4時間は「自由時間」です。

独身で一人暮らしの私には、自分のこと以外に何かをしてあげなければならない、ということはありません。
もうほとんど連絡を取ることもなくなりましたかつての友人たちは、
20代~30代で結婚して「家庭」をつくり、
子供ができることで「家族」が増えていきました。

「家庭」をつくることで、自分以外の人のために「何かしてあげたい」という時間ができるのでしょう。
そして、「家族」が増えることで、自分以外の人のために「何かしてあげたい」と思う時間がより多くなり、
自分のための時間よりも「誰かのため」の時間が増えていくのでしょう。

自分以外の人のために何かをしてあげる時間を、「大変」とか「面倒」と思う方もおられるのでしょう。

自分とは異なる家庭環境や文化、しつけで育った配偶者と、「折り合い」を付けながら生活することは、きっと「大変」なのでしょう。
自分の子供とはいえ、自分の思い通りにはなかなかいかない子育ては、きっととても「大変」なのでしょう。

「大変」といえば、
独身で一人暮らしの私にとっては、
誰かのために、何もすることがなく、
「あり余る」孤独な時間を、
どのように意義深く使うべきかを思い悩むことが、「大変」なことなのです。

誰からも、何をすることも、期待されることのない40代の私にとっては、
(ないものねだりですが)
「家族」のために何かすること、何かすることを期待されることは、
人の人生の意義を明らかにする、最も本質的な行為のような気がします。

おそらくかつての友人たちは、40代になってもなお独身で、
会社での労働以外のすべての時間を「自分のためだけに」使える私をどのように見ているのでしょうか。

私はかつての友人たちが、自分以外の誰かのため=家族のために時間を使うことを、
「大変」だと思う一方で、
1回しか与えられていない人生の時間の使い方として、とても「羨ましい」と思っています。

自分以外の誰かのために、毎日追われるように何かをしなければならないのは、本当に「大変」だと思っております。
一方で、私のように、仕事以外の時間のすべてを、誰からも、何も期待されることなく、自分のためだけに自由に使わなければ「ならない」人生も、また寂しさと虚しさとの点から「大変」だと私は感じております。

家族のために毎日がとても忙しく時間に追われる生活と、
自分のためだけの「あり余る自由時間」にどのような意義を見出すかを思い悩む生活と、
どちらもその境遇に置かれてみないと、本当のことは分からないでしょう。

独りの「あり余る時間」の使い道

私は40代、これから誰かと家庭を築くことはおそらくないでしょう。
これからも一人での生活が続くのでしょう。
となりますと、やはり自分自身で、「あり余る」独りの時間に意義を持たせてあげることが必要になりそうです。

本当に長い時間を独り孤独に過ごしてきました私には、
とてもあたり前のように思われるかもしれませんが、
人生に意義を与えてくれる一つは、人との繋がり、だと思うのです。

「誰かのために、何かしてあげたい」と思うこと、
長い間、誰からも、何も期待されていない境遇に置かれて、はじめて、
人として本当に大切な気持ちなのだと気づかされます。

「社会に役立つ」活動の内容を見てみると、私には参加が難しいものが多い

とある調査によれば、
「日頃、社会の一員として、何か社会のために役立ちたいと思っています」の質問に対して、
40代の67.2%が「社会の役に立ちたいと思っている」そうです。

「社会の役に立ちたいと思っている」方に、
さらに「どのようなことで」社会の役に立ちたいと思っていますか、と尋ねたところ、
最も多い回答が「自分の職業を通じて」(41.3%)となったそうです。

多くの方が「自分の職業」が「社会の役に立つこと」と考えられているようです。
では私は、といいますと、
私には、私が行っております会社でのデータ入力といった「限定的」な「職業」が、「社会の役になっている」とはなかなか想像できません。
私の仕事もめぐりめぐって、誰かのため、社会のためになっているには違いないと思いますが、私には目の前にあるデータを、淡々と入力していく「作業」以上の意義を感じることができません。

「社会の役に立ちたいと思っている」方々の中で、
多くの方が「社会に役立つ」方法としてあげられた「職業を通じて」は、私にはあてはめることはできなそうです。

「自分の職業を通じて」以外の「社会に役立つこと」としては、
「子どもの登下校時の安全監視など交通安全に関する活動」(24.9%)、
「家事や子どもの養育を通じて」(21.9%)、
「子ども会など青少年健全育成に関する活動」(19.1%)、
「冠婚葬祭のお手伝い、町内会や自治会など地域活動」(14.8%)、
「学校でのクラブ活動における指導など体育・スポーツ、文化に関する活動」(13.1%)、
などがあげられたようです。

私は独身で「あり余る」時間があり、できることであれば「社会に役立ちたい」とは思っていますが、
この調査によれば、
「社会に役立つ」活動は、
(社会に役立っていると感じられる)「職業」を通じてか、
自分の子どもを通じて社会と関わるか、
町内会などのコミュニティを通じて関わるか、
といった社会と関わるための「共通項」が求められるようです。

私の孤独の源泉

私の孤独な生活の源泉はこの点からも求められるように思えてきました。

私は、誰かのため、社会のために役立ちたいと思っていても、
「職業」=「仕事」は単純作業の繰り返しで、どうしても社会の役に立っているとはイメージできず、
独身で家庭も家族もいない私は、「子どもを育てる」という目的の活動には参加できず、
アパートで一人暮らしの私には、地域コミュニティへの参加を求められることはない、
ことからずっと独りの生活になっているのかもしれません。

趣味の世界には、自分の心がけ次第で、比較的自由に参加することはできると思います。
ですが、40代以降の残された時間に意義を与えてくれそうな活動に参加するには、少し「共通項」が求められるようです。
そして、その「共通項」の多くは私が有していないもののような気がしています。

それでもなお、私は自分の人生に意義を持たせる生活と仕事を模索したいと思っております。


【文中の参考・引用文献】
・「社会意識に関する世論調査(令和3年12月調査)概略版」内閣府(2022)

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プロフィール

学生時代に想い描いていた人生は、自分の社会的な存在価値を表してくれるような❝しっかりとした❞会社に就職して、20代で結婚し、30代で家族に恵まれ、子育てや家庭生活と仕事を両立させる、そのような「理想的」な生活。 しかしながら、現実は、「理想」とは程遠く、新卒者として臨んだ就職活動に❝失敗❞し、非正規社員として社会人をスタートし、学生時代からのパートナーと別れ、友人たちとも疎遠となり、20代後半から「孤立」し始め、30代はずっと「孤独」な生活を過ごすことに。 「孤独」の痛さや、孤独の中で毎日働く「虚しさ」を10年以上経験する。 40歳で「前向きに」生きることを決意し、カウンセラーの資格を活かし、自分と同じような「孤独」と「仕事」に不安と悩み、虚しさを抱えた方々に、ナラティブ・アプローチ(『語り』を通じた問題解決)を用いて、寄り添う活動を行っている。

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