Column理想的なlife都会の真中に浮かぶ御堂~不忍池辯天堂と上野東照宮見学。「歴史」を紡いでこられた先人達との❝繋がり❞を感じます。

都会の真中に浮かぶ御堂~不忍池辯天堂と上野東照宮見学。「歴史」を紡いでこられた先人達との❝繋がり❞を感じます。

「歴史」を通じて、歴史を紡いでこられた無数の先人達と❞繋がっている❞ことを意識できそうな気がします。

上野駅周辺には歴史、文化、芸術が詰まっています。

独身40代の休日は自ら動き出さなければ、何も起きません。
何も起きなければ、ただただ時間ばかりが過ぎ去っていき、夜を迎え、朝になればまた会社に行き、仕事をこなすだけの5日間が始まってしまいます。

家族との記憶も、仕事での輝かしい成果も持ち合わせていない私は、
それでも40代からの人生の意義と愉しみを創るため、
休日は積極的に、先人たちが築き上げられてきました歴史と文化を感じられる場所に伺うようにしています。

私は上野公園(正確には上野恩賜公園と言うそうです)が好きです。
私は40歳になったことを機に、残りの人生に自分で意義を与えようと、歴史と文化に意識的に触れるようにしました。
上野公園には、東京国立博物館、国立科学博物館、国立西洋美術館、東京都美術館、旧東京音楽学校奏楽堂…、といった数多くの歴史、文化、芸術が詰め込まれています。

孤独なほぼひきこもり生活を送っておりました30代の頃には、
歴史にも、文化にも、芸術にも、ったく興味が沸くことはありませんでした。

ですが、40歳になり「もう私の人生に意義を与えてあげられるのは自分しかいない」、
であれば、これからは先人たちが後世の私たちに残したかった「意義深い」ものに触れることで、
私の人生にも「学び」という意義を少しでも付け加えていこう、
と決意して、歴史と文化、芸術の香りがする場所に訪れるようになりました。

不忍池辯天堂は琵琶湖と繋がる歴史を有しています。

上野駅公園口を出まして、西郷隆盛像からお出迎えを頂き、そのまま不忍池に向かって進みますと、
池の中に浮かぶ中之島に建てられました、寛永寺・不忍池辯天堂が見えてきます。

不忍池辯天堂は、江戸時代の寛永年間(1624年~1645年)に天台宗東叡山寛永寺の天海僧正によって建立されたそうです。

興味深い歴史は、不忍池辯天堂が、
滋賀県の琵琶湖に浮かぶ竹生島に、辯才天を祀られていた宝厳寺を模して、
上野の不忍池に浮かぶ中之島に、不忍池辯天堂が建立され、
不忍池辯天堂に、宝巌寺の辯才天が勧請(かんじょう:辞書によれば神仏の分身・分霊を他の地に移して祀ること)されたことです。

不忍池辯天堂は、琵琶湖の宝厳寺を模して建立されただけでなく、
祀られている辯才天も、宝厳寺から勧請(かんじょう)されたということは、
同じ神様が祀られているようです。

辯才天は、音楽と芸能の守り神として信仰されておりまして、金運上昇といったご利益もあると考えられているそうです。
不忍池辯天堂の前には、辯才天のシンボルともされております琵琶が鎮座されています。

不忍池辯天堂に祀られております「八臂辯才天(はっぴべんざいてん)」は八本の腕があり、手に煩悩を破壊する武器を持たれているそうです。
観られるのは年1回、9月の「巳成金大祭」の日だけのようです。

なにごとも興味を持って、訪れてみることで、新鮮な気づきが得られます。
このような些細なことでも、独りで生きる私の人生に、ほんの少しですが意義を与えてくれる気がしています。

上野駅方面から歩いて中之島・不忍池辯天堂に渡るための「天龍橋」も、建立された当時は琵琶湖の宝厳寺に倣って、舟で参拝するために掛けられていなかったようですが、寛文年間(1661年~1672年)に参詣者が増えたこともあり、後から作られたそうです。

ちなみに、江戸時代に建立された不忍池辯天堂は1945年の空襲で焼失してしまい、1958年に再建されたようです。

不忍池辯天堂は上野の高層ビルとも同じ画角におさめられます。
都会の高層ビル群に囲まれているロケーションではありますが、ここだけは、江戸時代から続く歴史を今に伝える空間のためか時間がゆっくりと流れている気がします。

江戸時代から続く歴史と、
滋賀県の琵琶湖と、上野の中之島を繋ぐエピソードなどを調べた上で、訪れてみますと、
不忍池辯天堂に伺う意義がより深まると思います。

上野東照宮には没後の徳川家康が「東照大権現」として祀られています。

上野駅周辺にはさらに、1627年に創建されました上野東照宮もあります。
東照宮は、江戸幕府・江戸時代を切り拓かれました徳川家康が没した後、後水尾天皇から「東照大権現」の勅諡号を贈られ、神様として祀る神社でありまして、
日光東照宮(栃木県日光市)、久能山東照宮(静岡県静岡市)、金地院東照宮(京都府京都市)、長崎東照宮(長崎県長崎市)など全国に建立されております。

上野東照宮も「東照大権現」となられた徳川家康を神様として祀られています。
出世や勝利、健康長寿に御利益があるとされております。
1627年に東照社が創建されたところから上野東照宮が始まっているそうです。

1651年に徳川家光が、日光東照宮まで参拝に行けない江戸の民のために、上野東照宮を豪華な金色殿に造り替え、今に伝えられています。
上野東照宮は、幕末の上野戦争でも、関東大震災でも、東京大空襲でも被災することなく、江戸初期に建立されたままの姿を保っているそうです。

上野東照宮も悠久の歴史を感じられる空間です。
約400年前も前から先人たちが守られてきた歴史を感じることで、
私も歴史を通じて、多くの人たちと❝繋がっている❞ことを意識することができそうです。

独り寂しく何の変化もないアパートで過ごすよりも、
ほんの少しでも外に出る「意味」を自分で探し、行動することで、
孤独な生活にも意義を感じることができる気がしています。

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プロフィール

学生時代に想い描いていた人生は、自分の社会的な存在価値を表してくれるような❝しっかりとした❞会社に就職して、20代で結婚し、30代で家族に恵まれ、子育てや家庭生活と仕事を両立させる、そのような「理想的」な生活。 しかしながら、現実は、「理想」とは程遠く、新卒者として臨んだ就職活動に❝失敗❞し、非正規社員として社会人をスタートし、学生時代からのパートナーと別れ、友人たちとも疎遠となり、20代後半から「孤立」し始め、30代はずっと「孤独」な生活を過ごすことに。 「孤独」の痛さや、孤独の中で毎日働く「虚しさ」を10年以上経験する。 40歳で「前向きに」生きることを決意し、カウンセラーの資格を活かし、自分と同じような「孤独」と「仕事」に不安と悩み、虚しさを抱えた方々に、ナラティブ・アプローチ(『語り』を通じた問題解決)を用いて、寄り添う活動を行っている。

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