新卒派遣社員としてルーティーンワークをこなす日々が長く続きました。
私は今から約20年前、2000年代前半の就職氷河期真っ只中に就職活動を経験し、30社近くから「不採用」通知は頂戴するも、正社員としての内定を獲得することなく、卒業を迎えてしまいました。
大学進学とともに地元=親元から離れ一人暮らしをしており、学校を卒業しても正社員として雇用して頂ける会社がなかった時点で、地元に帰る選択もありました。
私はこのまま地元=親元に戻らず、同じアパートで一人暮らしをすることを選び、非正規社員の派遣社員として働くことにしました。
派遣先企業で派遣社員として求められた仕事は、
様々な部署から上がってくる各種データを、定められたルールの下、ミスなく入力することでした。
毎朝決まった順序でデータを入力し始め、夕方までルーティーンワークを続け、退社します。
そして、次の日も同じ順序で仕事をはじめ、夕方退社するといった変化のない日常が続きました。
気持ちが少しソワソワするのは派遣契約が5カ月目に入る頃です。
私の雇用契約=派遣契約は6カ月間と決まっており、次に雇用契約=派遣契約が「更新」されるかどうかは、5カ月目に入る直前にしか告げられませんでした。
雇用契約=派遣契約が残り1ヵ月となる前に、次の契約を「継続」するかどうかを「協議」することになっており、私は「おそらく次も更新されるでしょう」とは思っていましたが、契約が「更新」される「確約」はありませんでした。
私にとっては不安定だった雇用契約=派遣契約も「更新」、「更新」を繰り返し、とても長い期間、派遣社員として働き、生活をしておりました。
派遣社員としての「働き方」は、
雇用契約=派遣契約が6カ月間という予め定められた期間でしたので、「難しい仕事」は要求されませんでした。
派遣社員の私が長い期間行っておりました仕事は、誰かはやらなくてはならない仕事でしたが、長期勤続で賃金が高くなっている正社員が行うまでの(難しい)仕事ではないものでした。
私は派遣社員だったとても長い期間、基本的にはずっと同じ❝簡単❞な仕事をこなしておりました。
学校を卒業して、とくに社会人としての教育プログラムを受けていない私が初めの1~2週間で覚えた仕事を、その後の十数年間に亘って、同じ給与水準でずっとやり続けるとは、想像しておりませんでした。
もっと難しい仕事に挑戦したいと思っても、私に割り当てられる仕事は、派遣社員の内はずっと変わることはありませんでした。
社会人をスタートさせてからずっと変わらず❝簡単な❞仕事ばかり続けたこともあり、他の仕事、他の会社に移ろうとしても、「本当に私に他の仕事が務まるのでしょうか…」という思いがちらつき、実際に踏み出す勇気が出ませんでした。
今は派遣先企業だった会社の直接雇用に変わりましたが、
賃金水準や行っている仕事は、派遣社員だった頃とあまり変わるところはありません。
6カ月契約という短い期間の雇用ではなくなりましたが、
仕事内容は相変わらず❝簡単❞な業務を任されるだけの人材のままで、
40代となり、これまでの職業経験の浅さに大きな不安を感じます。
学校を出て直ぐに非正規社員の派遣社員として派遣され、長い年月を経て、
派遣法の大幅な改正といった事情もあり、派遣先だった会社に「限定社員」として直接雇用されるようになりました。
「限定社員」は直接雇用で、正社員と同じ定年までの雇用契約となりましたが、
正社員と同じ賃金や昇進・昇格ルールが適用される訳ではなく、
あくまでも限定的な「仕事」と「処遇」の契約となります。
おそらくこれからも「限定的」な仕事を、変わることのない賃金水準で行うのだと思います。
もし長年行ってきたルーティーンワークが「なくなった」ら私はどうなるのでしょうか。
私はもう40代。
もし今の会社で行っている「限定的」な仕事が、「いらなくなったら」私はどうなるのでしょうか。
こんな私でも今世界中で起こっているデジタル革命の流れは何となく肌で感じることができます。
約20年前から続けている私の❝簡単な❞仕事は、おそらくあと数年でなくなるでしょう。
その時、私はどうなるのか…、とても大きな不安の種です。
一つは、別の仕事を与えてもらう、ということが考えられますが、
これまでずっと同じ仕事をしてきた私に他の❝難しい❞仕事ができるのでしょうか、
という大きな不安があります。
ずっと同じ仕事を、あまり深く考えずにこなしてきた私には、
同世代が経験してきたような幅広い職務経験もなく、
また、新入社員が受けるような教育プログラムすら受けさせてもらえなかった私には、
40代の社会人に求められるような「素養」が欠けているように思うのです。
職務遂行能力は新入社員の頃とあまり変わらず、
年齢だけが40代となってしまった私は、
年齢相応に求められる❝難しい❞仕事をこなせる訳もなく、
かといって今の仕事が私が60歳になるまで「生き残る」はずもなく、
自分なりに何らかの「準備」をしなければならないプレッシャーを肌で感じています。
今の❝簡単な❞仕事がなくなった後、もう一つ考えられる道は、
「リストラ」です。
1990年代前半にはじけました「バルブ経済」の後、1990年代後半からは、
事業再編=リストラと称しました人員削減が大々的に行われました。
40代の私には1990年代後半に行われました「リストラ」=人員削減の記憶が鮮明に残っています。
連日、ニュースで職を失った方々のことが取り上げられておりました。
そして今、デジタル革命が猛スピードで押し寄せている状況は、
私がずっと行ってきましたデータ入力のような❝簡単な❞仕事は、
もう直ぐAIに取って代わられる将来がはっきりとイメージできるようにまで迫ってきました。
デジタル革命は、
私にとって「他人事」ではなく、とても差し迫った「自分事」なのです。
自分なりに今からできる「備え」を考えてみますと。
2022年、40代の私がいままで行ってきた「仕事がなくなる」差し迫った状況で、自分なりに「準備」を始める指針となりそうなレポートがありました。
そのレポートによれば、
2015年時点において「意識・行動面を含めた仕事に必要な能力」は、
「注意深さ・ミスがないこと」、
「責任感・まじめさ」、
「信頼性・誠実さ」、
「基本機能(読み、書き、計算、等)」、
「スピード」、
「柔軟性」、
「社会常識・マナー」、
「粘り強さ」、
といった要素が「仕事に必要な能力」だったそうです。
そして私にとっても重要となります2050年「仕事に必要な能力」は、
「問題発見力」、
「的確な予測」、
「革新性」、
「的確な決定」、
「情報収集」、
「客観視」、
「コンピュータスキル」、
「言語スキル:口頭」、
「科学・技術」、
「柔軟性」、とのことです。
これを見てみますと、
確かに2015年当時に「仕事に必要な能力」とされておりました、
「注意深さ・ミスがないこと」、「責任感・まじめさ」、「スピード」は、
私がずっと行ってきましたルーティーンワークにぴったりと当てはまる気がします。
そして、私が切実に感じております「注意深さ・ミスがないこと」、「責任感・まじめさ」が求められておりましたルーティーンワークは、デジタル技術に取って代わられることが、私でも見通せるくらいに迫ってきているように思います。
40代の私は、少なくともあと20年は生活のためにも働かなければならないようです。
2050年に求められる「仕事に必要な能力」の中で、
私が「準備」できそうな「能力」としては、
「問題発見能力」、「情報収集」、「言語スキル:口頭」ではないかと思いました。
「問題発見能力」、「情報収集(能力)」、「言語スキル:口頭」を養う方法を少しづつ考えてみたいと思います。
【文中の参考・引用文献】
・「未来人ビジョン」経済産業省(2022)