Column理想的なlife独身40代の❝意義ある❞愉しい休日の過ごし方

独身40代の❝意義ある❞愉しい休日の過ごし方

土日はせめて「知的で文化的な」時間を

かつての友人たちの優先順位は家族に

かつての友人たちも、20代から30代に掛けて結婚し、家庭を持ち、家族が増えることで、だんだん友人として会うことが少なくなっていきます。

結婚し、家庭を持つことで、配偶者との時間を優先するようになり、
家族が増えることで、子育てが最優先になるのは、あたり前のことなのでしょう。

かつて友人だった人たちは、友人たちの家族同士で会っているようですが、
独身で、家族がいない私はそのコミュニティにはいれてもらえないようです。

家族が増えた女性は、家族を家に置いて出かけることは難しく、
もし出掛けて誰かと会えるとすれば、
同じく家族がいる女性であれば気兼ねなく外で会えるようです。

家族が増えた人は、同じような家族をもっている人とのお付き合いになっていくようです。
私のかつての友人たちのほとんどは家族持ちとなっています。
独身者だけのコミュニティもかつてはありましたが、40代となった今では全てなくなってしまいました。

会社内のコミュニティにも私の居場所はない

そして勤務先でのコミュニティもまた私には居場所がありません。
新卒で派遣社員となり、10数年後にようやく「直接雇用」にはなりましたが、
雇用形態は非正規です。

会社内で維持されているコミュニティは、新卒者として入社して、数年、数十年と長期勤続している正社員の集まりです。
私は同じ会社に何十年と「います」が、派遣社員・非正規社員だったため、会社内のコミュニティの正式なメンバーにはいれてもらえません。
かといって、同じ派遣社員・非正規社員どうしのコミュニティがあるかといいますと、労働時間内に会社内で話をすることはあっても、その人間関係が就業時間を超えて続くことはほとんどありません。

派遣社員・非正規社員は仕事を始める前に、一般的には1年を超えない期間で雇用契約を結ぶため、長期間にわたって人間関係を良好に保つための「コミュニティ」を形成する必要性が乏しくなってしまいます。
新卒者から派遣社員でありました私としては、会社内の何れかのコミュニティに属してみたかったのですが、どのコミュニティからも「お誘い」を頂くことはありませんでした。

私は家族を持たない点でかつて友人だった人たちとのコミュニティに入れず、
新卒者で正社員として入社できなかったことから、会社内の正社員中心のコミュニティにも入れませんでした。

何かしらのコミュニティに入るには、何かしらの共通項や「軸」が必要になるのでしょう。
「家族ぐるみのお付き合い」、「同じ学校に通う子どものママ友」、「父兄会」、
「新卒同期」、「同じ所属部・課」、「同じプロジェクトメンバー」…。

私には何かしらのコミュニティに入るための共通項が希薄なのかもしれません。

私に残された共通項といえば「40代で独身」という点なのかもしれませんが、
「40代で独身」というコミュニティは少なくとも私の周辺には見あたりません。

独身40代、私の意義深く愉しい土日の過ごし方

40代ともなれば、何かしらのコミュニティに属していることが「一般的」と思われますが、私はどのコミュニティにも属しておりません。
どのコミュニティに属しておりませんので、月曜日から金曜日までの決められた労働時間以外の予定はありません。

誰からも「お誘い」を受けることのない私ですが、
それでも「前向きに」、意義深く愉しい土日の過ごし方を模索し続けています。
その一つが休みの日に、喫茶店に入り、本を読むを取ることです。

本当は本を読むことはあまり得意ではありません。
集中して本を読める時間は限りがあります。
30代の頃は、土日はどこにも出掛けることなく、一人アパートでパソコンの前に座っておりました。

40歳になり「とにかく努力してでも前向きに」生きると決意してからは、土日にずっと家でふさぎ込んでいることはやめて、重くなった体を無理にでも動かし、意識的に外出することにしました。
たとえ独身で独りの人生であっても、意義深く愉しい時間を過ごすためには、アパートから出て、❝人間らしい❞活動が求められると思っています。

今私が❝人間らしい❞と考えているのは、「知的で文化的な」活動をすることです。
私には家族がおりません。当然、子どももおりません。
同世代が「家族のために何かする」、「子どものために何かする」という人生の意味を、あたり前のように目の前に享受できる状況とは、私は異なります。

これからもおそらく「家族のため」「子どものため」という側面から、人生の意味を捉えることが難しい私にとっては、
独りでも意義深く愉しい人生を見出す必要があると思っています。
その一つの切り口が、「知的で文化的」な生き方をすることだと考えています。

今私が、私自身に感じる「アイデンティティ(自己同一性)」は、
「40代」、「独身」、「アパートで一人暮らし」、「非正規社員」、「就職氷河期世代」というワードで表現できますが、
(独身であっても)「知的で文化的な生き方をしている40代」というアイデンティティを加えたいと思っています。

独身であっても「知的で文化的な生き方をしている40代」というアイデンティティを、努力して加えることで、「前向きに」生きていける気がしています。

やはり、40代で、独身で、アパートで一人暮らしの「可哀想な人」と❝だけ❞見られることは、とても辛く、切ないことです。

求める「アイデンティティ」のために、少し無理をしてでも「知的で文化的」な場所に伺います。

このような「前向き」な考えのもと、土日に多少無理をしてでも伺う場所は「椿屋珈琲」です。

「椿屋珈琲」はコーヒーマイスターがサイフォンでコーヒーを丁寧に淹れてくれるお店です。
店内の佇まいも大正時代をモチーフにしたインテリアから醸し出される「文化的」な香りが広がっています。
他の有名喫茶店にはない「大正ロマンの趣」というコンセプトが、「知的で文化的」な土日の過ごし方を模索しておりました私の「コンセプト」に(勝手ですが)合致していたのです。

知的で文化的な活動を求めておりました私にとっては理想の空間ではありますが、
一つの問題は、珈琲1杯のお値段が1,000円を超えるところです。
私の給与水準からしますと本来は、珈琲1杯のお値段が1,000円を超えるような喫茶店に入店すること自体「場違い」なのかもしれません。
もっとコーヒー1杯の値段が低い喫茶店に行った方が良いのかもしれません。

ですが、多少無理をしてでも椿屋珈琲に伺います。
私が欲しているのは、
「知的で文化的な生き方をしている40代」というアイデンティティ(自己同一性)なのです。

30代までの「ひきこもり」生活から抜け出して、力強く「前向き」に生きるために不可欠と考えております「自己肯定感」(と私が望む「アイデンティティ」)をほんの少しづつでも獲得していくために、
金銭的には多少苦しくとも、私が「理想的」と思う場所に伺い、その(知的で文化的な)「雰囲気」を自分にも纏わせていきたい思っているのです。

今私が考える理想的な生き方をできるのであれば、(私には)高価な珈琲であっても、値段以上の❝もの❞を得ていると思うのです。

私は、理想的な雰囲気のする場所で、高価な珈琲を片手に、読書をする知的な40代でありたいと思っています。
たとえ多少の無理をしてもです。

土日に、身だしなみを整え、一人で雰囲気の良い喫茶店に行き、本を片手に珈琲を嗜むことが、
私にとっての❝意義ある❞愉しい休日の過ごし方となっています。


【文中の参考・引用文献】
・東和フードサービス株式会社(椿屋珈琲)

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プロフィール

学生時代に想い描いていた人生は、自分の社会的な存在価値を表してくれるような❝しっかりとした❞会社に就職して、20代で結婚し、30代で家族に恵まれ、子育てや家庭生活と仕事を両立させる、そのような「理想的」な生活。 しかしながら、現実は、「理想」とは程遠く、新卒者として臨んだ就職活動に❝失敗❞し、非正規社員として社会人をスタートし、学生時代からのパートナーと別れ、友人たちとも疎遠となり、20代後半から「孤立」し始め、30代はずっと「孤独」な生活を過ごすことに。 「孤独」の痛さや、孤独の中で毎日働く「虚しさ」を10年以上経験する。 40歳で「前向きに」生きることを決意し、カウンセラーの資格を活かし、自分と同じような「孤独」と「仕事」に不安と悩み、虚しさを抱えた方々に、ナラティブ・アプローチ(『語り』を通じた問題解決)を用いて、寄り添う活動を行っている。

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