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私の社会人として第一歩目は「派遣社員」

「職業選択の自由」は保障されているものの、実際に「選択」できるかは別なこと。

高校3年の選択、就職回避でモラトリアム進学

私が高校を卒業し、大学へ進学するか、就職するかを選択しなければならない時の社会情勢は、1990年代前半まで続いた好景気(バブル経済)も終わり、「不況」「不景気」「バブル経済の崩壊」「リストラ」といった、これから社会にでて働かなければならない若者の心を大きく沈滞させる言葉が連日のように飛び交い続ける状況でした。

1980年代半ば頃から1990年代前半までの好景気が続いていた時代は、採用企業による「新卒者の囲い込み」といったバブル経済崩壊後の世代からすると、本当に羨ましくなるような新卒者の「売り手市場」で、企業の採用担当者が4月入社予定の新卒者の人数を確保するために、「内定者懇談会」と称して食事会や旅行をセッティングしたりして「内定辞退」を防ごうとしていたそうです。

好景気の真っ只中の1991年の求人倍率は1.40倍(働きたいと思っている人1人に対して採用したい企業が1.4社あるといった状況。働きたいと思っている人にとってはとても就職し易い状況といえ、複数の求人企業から就職先を選ぶことも用意だった時代ともいえます)、失業率も2.1%ときわめて低水準で推移していました。

私はこの❝過熱した❞好景気の頃はまだ幼く、好景気の「恩恵」に与ることはありませんでした。
私が社会情勢を表す言葉を理解し始めた頃は、「バブル崩壊」「不景気」「リストラ」「失業」といった人々の気持ちを落ち込ませるネガティブな言葉で埋め尽くされていました。

世の中に溢れるネガティブな言葉は、高校生となっていた私の心も暗鬱とした気持ちにさせていきました。
高校を卒業して就職するか、それとも進学するか…。
私はネガティブな言葉溢れる不況下において、就職できる自信がもてず、❝モラトリアム的❞に進学することを決めました。

好景気が過ぎ去り、厳しい不況下での就職を回避するための進学。
就職を回避することから決めた進学、当然進学して「学びたいこと」などは定まっていません。
「学びたいこと」はありませんでしたが、今就職するよりは、進学して景気が上向いているかもしれない4年後に就職活動を行いたい。
結果、自分の学力で「行ける大学」と学部を探し、受験し、❝とりあえず❞合格し、そのまま入学を決めました。

モラトリアムの終焉、「就職氷河期」に就職活動時期を迎える

もともと「何かを学びたい」から進学する、ということではなく、将来何か「やりたいことがある」からこの大学と学部に進む、ということでもなかった私の大学生活は、完全に勢いを失ってしまっておりました日本経済と同じように、ずっと曇り空の下にいるような気持ちでした。

進学時点から大学生活での目的は、4年間の大学生活の間に再び日本経済が上向き、新卒者が就職し易い環境になることを祈りながら過ごす、でした。
このような目的意識の下での学生生活は、とくに「誰にも負けない」ような頑張ったことも、誰かに自慢できるような特別な経験をすることもなく、あっという間に大学3年生の秋を迎え、高校3年生の時に一度は回避した「就職活動」の時期を迎えてしまいました。

高校3年生の時に就職か、進学かの選択を迫られた際に、「今就職することは難しそうだ」と判断し、❝モラトリアム的進学❞を選び、4年間の猶予を手にしたものの現実は、4年間で日本経済は上向くことはなく、後に新卒者の「就職氷河期」と呼ばれる程、学校を卒業し社会にでる新卒者にとって厳しい就職環境となっていました。

具体的には、2000年3月卒の求人倍率は0.99倍、民間企業に就職を希望する新卒者が412,300人対して、求人企業数は407,800社と、新卒者が就職を希望したとしても、採用したい企業の方が少ないという、新卒者にとっては❝絶望感❞が浸透してしまうような暗い就職環境でした。

ちなみに、20年後の2020年3月卒の求人倍率は1.83倍、民間企業就職希望者439,500人に対して求人企業数は804,700人という求職氷河期世代には羨ましい就職環境となっています。
求人企業数も2000年が407,800社に対して、2020年は804,700社と約倍近くの求人者数となっています。

「今は就職する環境としては厳しい」と1990年代後半、高校3年生の時に一度は就職することを回避したものの、3年間で就職環境は上向くことはなく、もうこれ以上回避(就職活動を先送り)することもできなくなった私は、已むなく「就職氷河期」真っ只中において就職活動を行うことになりました。

大学3年生から取り組みを始め、1年以上❝必死❞でモチベーションを保つことだけを考えながら挑み続けました就職活動は、
エントリーは数えきれない位の企業数(100社か150社位だったと思います)、
筆記試験を含めた選考に進んだ企業約30社、
面接に臨んだ企業約20社、
内定は0社…、
という悲惨な結果に終わりました。

就職活動期間は現在の「就職協定」とは異なるルールが採用されており、
私は大学3年生の10月から❝実質上❞就職活動がスタートし(正確には、求人企業の広報活動の開始時期が10月から解禁とはなっておりましたが、会社説明会と筆記試験が同日日に実施する会社も多くあり、❝実質上❞就職活動・採用活動は大学3年生の秋からスタートされておりました)、卒業までの期間を考えますと約1年半という長期間にわたって就職先を見つける厳しい「戦い」が行われておりました。

私は「不採用」通知が届くたび、
私という存在を「否定」されたような気持に陥り、何度も、何度も酷く傷つきながら、
それでも卒業までに就職先を見つけなければならない強迫観念に圧し潰されても、次の日には選考試験に臨む、という就職活動を経験しました。

正社員としての「内定」を得られず、非正規社員の派遣社員としての雇用に

私なりに❝必死❞の思いで挑み続けました就職活動でしたが、それでも卒業時期を迎えるまでに、正社員として「内定」を獲得できず、私が選んだ(選ばざるを得なかった)卒業後の進路は、
人材派遣会社に「登録」して、登録した派遣会社(派遣元企業)から指定された、派遣先企業で、非正規社員の派遣社員として働き始めることにしました。

2000年代前半の「派遣法」と現在の「派遣法」では大幅にルール変更がなされておりますが、2000年代前半の「派遣法」の下で働いておりました派遣社員の「働き方」や「処遇」は、正社員と比べて明確な「格差」がありました。
大学を卒業して直ぐ派遣社員として働くこととなった私へ与えられた仕事内容、賃金水準と福利厚生、6カ月間という期間の定めのある雇用契約、同じフロアで働いている正社員の方々のコミュニティへの参加の難しさ、など私が大学時代に「自己分析」で思い描きました「社会人像」とは隔たりがある「働き方」が待っていました。

私は学校を卒業して社会人としての第一歩目を、
就職活動で正社員としての「内定」を一つも獲得できなかったことで、
非正規の派遣社員として歩み出すことになったのです。

私としては「不本意」な社会人としての第一歩目でした。
「普通」に正社員として、4月1日に❝同期❞と一緒に入社式を迎え、新入社員歓迎会を催して頂き、新入社員向けの研修プログラムを受け、様々な部署・仕事を経験するような…、社会人1年目のスタートを切りたかったです。

望んだ「働き方」ではなく、
已むなく選んだ「働き方」が非正規の派遣社員だった、
これが私の社会人としての第一歩目でした。


【文中の参考・引用文献】
・厚生労働省「一般職業紹介状況」
・株式会社リクルート「第39回ワークス大卒求人倍率調査(2023卒)」(2022年)
・厚生労働省「労働者派遣事業関係業務取扱要領(令和4年4月1日以降)」(2022年)

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プロフィール

学生時代に想い描いていた人生は、自分の社会的な存在価値を表してくれるような❝しっかりとした❞会社に就職して、20代で結婚し、30代で家族に恵まれ、子育てや家庭生活と仕事を両立させる、そのような「理想的」な生活。 しかしながら、現実は、「理想」とは程遠く、新卒者として臨んだ就職活動に❝失敗❞し、非正規社員として社会人をスタートし、学生時代からのパートナーと別れ、友人たちとも疎遠となり、20代後半から「孤立」し始め、30代はずっと「孤独」な生活を過ごすことに。 「孤独」の痛さや、孤独の中で毎日働く「虚しさ」を10年以上経験する。 40歳で「前向きに」生きることを決意し、カウンセラーの資格を活かし、自分と同じような「孤独」と「仕事」に不安と悩み、虚しさを抱えた方々に、ナラティブ・アプローチ(『語り』を通じた問題解決)を用いて、寄り添う活動を行っている。

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